えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;

亜紀さんの体験

「正夢」

(2006年3月8日)


夢で見たんです。

友達がナイフで刺されたところに偶然居合わせて、
逃げようと思ったらわたしも刺されました。

次の日、怖くなって夢で刺されていた友達にそのことを話したら、
ちょうど昨日手を包丁で切ったと言っていました。

偶然、って笑われましたが、次の時間がたまたま美術で彫刻刀を使っていたら、
隣の子の手が滑って、わたしの手に切り出し刀が刺さりました。

浅くて、大した傷ではなかったんですけど、びっくりして呆然としていたら、
そのこが「夢で見たことと同じだ」って、呟いて。

最近、本当変な夢ばかり見るので、お寺に行こうと思います。


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


youさんの体験

「夢の印」

(2006年4月3日)


夢の中で追いかけられた。

追っかけてくる人に手を掴まれた。
でも、一生懸命逃げた。

目が覚めて着替えようと思ったら
手首が赤黒くなってた。

夢なのかなー、現実なのかな。


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


旺璃さんの体験

「お母さんと一緒」

(2006年4月16日)


私は某有名ファーストフード店でバイトしています。

忙しい時には、カウンター越しに向かい合って初めて相手を意識するんですが、
それは30歳前半、ヤンママっぽいお客さんでした。

子供はまだ小さいみたいで、カウンターに隠れて見えなかったんですが、
見た目とは違い優しそうなお母さんで、しきりに子供に声をかけていたんです。

「ねーどれにしようかー」
「なにがいい?」
「メニュー見えないの?ほら、どれにする?」・・・

子供はまだ小さいようで、おとなしい子なのか、話し声は聞こえませんでした。
でも、お母さんは腰を屈めて楽しそうに子供と相談して、
結局通常のセットと子供向けのセットを注文したんです。

注文されたものを作る間も、お母さんはずっと子供に優しく話かけていました。
待ち時間はポテトに多少時間がかかって4分くらいだったと思います。

「お待たせいたしました。ごゆっくりどうぞ」
「どうも」

お母さんは、2つのセットが乗ったトレーを片手に持って、
片手は子供の手を引いて、カウンターを離れたんですが、
後ろ姿を見送りながら、初めてぞっとしました。

そのお母さんの手の先には、子供なんて、いなかったのです。

中にはあまり性質のよくないお客さんもいるので、一瞬、悪質ないたずらとも思ったんですが、
お母さんはそれでも変わらず、いないはずのその子に話し掛けながら、
席を探してたみたいです。

一日でも一番忙しい時間帯だったので、その後の様子はわかりませんが、
そのお母さんには、本当には子供が見えているのかいないのか、
どちらにしても、すごく怖かったです。


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


橘さんの体験

「無縁さん」

(2006年4月20日)


数年前にあった不思議な話をお聞きください。

ある日母方のお墓掃除をしていると、二つ隣の荒れた無縁仏が目に入りました。
夏場だったので雑草が生い茂っており、大変な事になっていたので、
ついでに掃除してあげようと思い足を踏み出した所、後ろにいた姉から

「無縁仏は掃除しちゃだめだよ」

と言われました。

「どうして?」と聞くと、
「掃除してあげたら、無縁仏のひとが嬉しくて付いてきちゃうよ」と言うのです。

さすがにそれは怖いと思ったので、申し訳無いのですが手だけ合わせて帰りました。

数年後。
今度は父方のお墓の方で、少し荒れた無縁仏を見つけました。

姉が「可哀想だね」と言ったので、私は前の事を思い出して
「でも掃除したら付いて来ちゃうからね」と言った所、姉は一言。

「そうなの?」

驚いて姉に問いただした所、姉はそんな話は初めて聞いたと言いました。
他の家族も同様です。

そして私は変な事に気付きました。

無縁仏を掃除しようとしたとき、
あの声は私が「無縁仏を掃除しようとしている」と断定していたのです。
私は何も言わなかったのに。

あの声は何だったのでしょうかね・・・


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


gaiさんの体験

「合宿で」

(2006年5月2日)


去年の夏、4泊5日の大学のクラブ合宿で、長野県にあるとあるホテルに行った時の事です。

そこでの合宿は2度目でしたが、近くの山の中にある廃墟には行った事がなかったので
2日目の夜、先輩たちと合宿先で会った女の子達が、その廃墟を肝試しがてら見に行くというので、
おもしろそうだから私と部の子と3人でこっそり後をつけたんです。

途中は草木が生い茂っていて軽い山道みたいな感じでしたが、車が1台余裕で通れるくらい幅もあって、
道なりに行くと道がUの字に曲がる広いところに出ました。
道の片方は崖、もう片方は急斜面の山でした。

道の先には廃墟が並んでて、先に行った先輩たちがうろうろしていたので、
私たちは怖がらせてやろうとUの字カーブにかかる手前の草むらに隠れて、石を投げたりしてからかってたんです。

始めは思惑通り驚いてくれたので、それなりにおもしろかったんですが、
ちょっとして先輩達の様子がオカシイのに気付いたので、
彼らが戻ってくる前に、私たちは一足先にホテルに帰ることにしました。

でも、さっき通ったばかりの道が、なぜか行きよりも暗くやけに静かだったんです。

廃墟からホテルまでの半ばにきた頃、私は思わず足を止めました。
目の前数メートル先に、不規則に動く白?黄?っぽいモノが浮いているのです。

「ど〜してん?」とわけがわからないままいっしょに立ち止まった部員たちに指で指して
「なんか白っぽいもん浮いてるやん!」って言うと、「なんもないで」と言われました。
みんな同じ方向を見ていたのに、私にしか見えていないようでした。

少し経つとフッと消えたので、私は恐る恐る部員の後ろに隠れながらホテルに戻りました。

間もなく先輩達が帰って来たので、中で一番仲がいい先輩と部屋に戻ってから
廃墟のことや浮遊するモノを見たことを話合ってビックリしました。

先輩たちも同じく、一緒に行った女の子のうちの一人が、
廃墟で白っぽい浮遊しているモノや、廃墟の中に白い服を着た女の人を見た!と言い始めて
さすがにヤバイと感じて走って帰って来たそうです。

その女の子はホテルまでの帰り、泣きながらすごく後ろを気にしてたらしいんですが、
廃墟で見た白い服の女性が途中までついてきてるって言ってたみたいで。

・・・

そんなこんなで、結局先輩と夜中3時頃まで話してたんですが、
窓から誰かに見られてる気配がして気分が悪くなってしまって、
廊下に出たら、今度は廊下の突き当たりにある非常階段の右の窓に何かがいる気配がしたんで見回すと
反対側の廊下を横切る小さな子供みたいな影が見えたんです。

先輩に「このホテル絶対ヤバイ!」っと言うと、
「今すっげぇ数に囲まれてる」と言われ、二人とも黙り込んでしまいました。

私の部屋は左側の廊下を少し行ったところでしたが、そんなじゃ帰るに帰れないし、
仕方なく男の先輩たちが寝ている部屋に入って、カーテンを閉めて、寝転んで小さな声で話していました。
気分が悪くて起きて話す気にもなれなかったからです。

すると先輩の一人が何を思ったのか「露天風呂入ってくる」と言って部屋から出てったんですが、
30分ぐらいすると「風呂にへんなモンが3、4体おったぞ」と、フツーに言いながら帰って来ました。
聞けばその先輩は昔、魂(幽霊?)と一緒にアパート住んだことがあるそうで霊感もすごくあるらしいんですが、
この先輩にも見えてるんやと思うとちょっとほっとしたし、
やっぱりこのホテルはなんかへんなモンがいっぱいおるという話になりました。

それから合宿の間の数日間は、誰かに見られてるような気はするけど、気にしないようにしました。
もう二度とあのホテルにだけは行きたくないと思います。


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


Tさんの体験

「凶報」

(2006年5月26日)


果たして「超こわ」からの出展か記憶が曖昧で申しわけないが、主婦連お約束のお茶飲み中、
「花に囲まれた中年婦人の顔が印刷された私製テレカを人からもらうか拾うかしたが、
それを使うたびどこからともなく・・・ってことがあったんだってー。やーね怖いワネー」
てな話で盛り上がってた時、ふと思い出したように語り始めた件のTさんの話。

「父が亡くなったのは、昼間だったんだけどね。
私の家に知らせが来たのは、夜の9時頃だったのね。

当時、父は寝たきりで10年も経ってたし、母もちょうど具合を悪くしていてほぼ毎日病院通いだったしで、
父を預かってくれてる病院としてはショックを受けてさらに具合が悪くなっても申しわけないからって、
ともかく母はやめておこうという話しになったらしいのね。

その代わり長女である私にってなったんだけど、昼間は私もいないじゃない?

何度も何度もかけたんだけどどうしても掴まらなくて、
ならば夜には戻るだろうという事で、そんな時間になったらしいのよ。

で、ともかく知らせを受けた私は、当然いの一番に母に電話をしたんだけど、
それがショックを受けるどころか少しも驚かないのよ。

なんていうのか、「ふぅん、やっぱり」みたいな。

まるで、父が亡くなる事を事前に知ってたみたいに。

だって、父は10年も寝たきりだったわけで、特に急変したとか親戚を呼べとか、
そういう話なんてぜんぜん無かったわけだから、その日にそんなことになってるなんて
誰にもわかるはずないじゃない?

それには母やはり昼間は病院に行ってていなかったというから、当然なんの知らせも受けてるはずないのに。

で、なんか怖いんで、私、聞いたのね。
そしたら母が言うのよ。

今日一日ずーっとお経が聞こえてたから、って。

そういうのって怖いじゃない?いやじゃない?
え?それってどういう事って、思わず聞いたわよ。

そしたら母がね、ともかく始めはなんだかわかんなかったんだって。
何かしてると耳元で、もにょもにょ声がするんだって。
なんて言ってるのか当然わからないんだけど、それが本当に一日中、もにょもにょぼそぼそ。
耳のすぐそばでずーーーっとしゃべってるんだって。

うるさいなぁって思ってよくよく聞いてみたら、お経みたいだなぁって思ったんだって。
その途端、はっと気がついたらしいのよ。

ああ、これはお父さんが死んだんだなぁって。

・・・あるのよねぇ。そういうコトって。」


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


maniさんの体験

「勘がたつ」

(2006年6月2日)


旦那がネイビーだった頃、航海中の船の中で、私の夢を見たっていうんだよね。

夢の中でもやっぱり寝てる旦那を、私が起きろ起きろって起こすんだって。
旦那はそのときすごく疲れてておっくうだったし、そのままブッチしようと思ったらしいのね。

んで、ずーっと寝たふりしてたら、夢の中の私がね、
起きろー!起きろー!ってそりゃもうスゴイ勢いで がーーーって、揺さぶり始めたんだって。

で、どうしたのって言ったら、あんまりそれがすごいんで、諦めて起きるとこで目が醒めちゃったんだって。

ね?それだけじゃフツーの夢話じゃん。

でもね、それ聞いて私だけすげーびびっちゃって。
ちょうどその日、私も見てたんだよ。

船で寝てる旦那をものすごい勢いで起こす夢。

ねぇそれってさぁ。幽体離脱?

・・・

昔、小学生の頃、近所の犬に噛まれたことがあって。
それ以来気がついたら小指がちょっと上手く動かなくなっちゃっててってアレ。
不自由ってほどじゃないけど、やっぱそれなりにショックはショックなんだけどさ。
いつもは「家でゲームばっかしてないで、外に遊びに行け〜!」ってうるさい母が
その日の朝、突然私に言ったのよ。

「お前、今日は出かけない方がいいよ」

私は友達と約束してたからさぁ、そんなわけにいかないって言うと、
なんかすごい勢いで、それでも止めろ、絶対でかけんなって言うのよ。

なんで?って聞いても、わかんないっていうし、
結局でかけちゃって、そういうオチになっちゃったわけなんだけど。

勘だけはスゴイよね、あのヒト。

・・・

あとねぇ、

4月の始め、父の亡くなる3日前、これ、日にちまではっきり憶えてんだけど、
家の中なんかもう、しっちゃかめっちゃかですごいコトになってたじゃない。

親戚とか来ちゃってたし、母は父に付きっきりで病院に泊り込んでて、
家にも滅多に戻んなくなっちゃってたあの頃ね。

あたしはまだ小学3年で、よくはわからないけど、
ただ、ものすごい事になってるなぁくらいはわかってたわけで。

母がね、その日、家にフラーっと帰ってきて、
しばらくぼーーっとしてたんだけど、ふと思い立ったように、

「今月末にお前の学校の写真撮影があるから、服作ろう」って言いだしたのよ。

そのときは、なんでこんな時にって思ったけど ともかく母って言い出したら早いじゃん。

ミシンに向かって、すごい勢いで、がーーーって作って、ハイ出来上がりって。
そのまま休みもしないで、また病院に戻ってっちゃったのね。

んで、その服っていうのがさー、
あの頃はあたしが家ん中で一番小さかったから、けっこうそれなりにかわいい服着せられてたのに、
いきなり白と黒のチェックのワンピースでさー。

その3日後、あたしはその作りたての新しい「喪服」着て、葬式に出たってわけ。

それはいまだに母が言うよ。
なんで、あの時急にあんな地味な服、作りたくなっちゃったんだか、今でもわかんないって。

あん時はほんと、不思議なこと、いっぱいあったよねぇ。


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


神楽坂 京さんの体験

「首なし」

(2006年7月16日)


私が中学2年の頃の話です。

人数は少ないながら仲の良かった私達は、3年生が引退するというのもあって部全体で夏休みにお泊まり会をしたんです。
人数が少ないとは言え、一応部として成り立ってますから、そんな人数が泊まれる家なんて勿論有りません。
それで先生や親に頼み込んで、幾つかの条件付で部室でする事を許可してもらったんです。

みんな家から寝袋、懐中電灯、食料など持ち寄って、お祭り騒ぎで浮かれてて
夜になると、さらにテンションも上がり、宴会並みの賑やかさを見せてました。
学校は少し山の中へ入ったところにあるのですが、道路もきちんとしてるし近くにはコンビ二まであるので、
人家は少なかったのですが、外が全くの暗闇になるという場所ではないです。

条件の一つに10時までには就寝というのがありましたから、みんな9時ごろには夕食を終え眠る準備をして、
それぞれに別れて喋ったり寝袋をくっつけたり寝っ転がったりしていました。
私は仲の良い友達と部長・副部長の4人で寝袋を合わせ、座ったりごろごろしながら雑談していました。

そのうち、近くで騒いでいた2年生たちが、昔からの噂話によく上っていた、
学校裏の林のすぐ傍にある「首なし地蔵」と呼ばれる頭部のないお地蔵様を見に行こうと言い出したのです。
ですが学校側の条件からも時間的にも無理で、学校外に出ることはできません。

すると、噂に詳しい友人が「首なし地蔵」は北校舎1階の突き当たりの窓からでも見えると言うのです。

時間はまだ9時半前で、北校舎1階までなら10時までに行って帰ってこられるのではということになり、
私達はいくつかのグループに分かれて、肝試しに行く事にしたんです。

私たちは5つのグループに分かれ、私は一緒に話していた3人と一緒に4番目の出発となりました。
2番目のグループが帰ってきたら出発です。
廊下は暗く、肝試しやお化け屋敷が苦手だった私は、同じ2年生にぴったりくっついて順番を待ちました。
おかげで順番が回ってきた時にはある程度怖さも薄れ、軽く笑いながら出発しました。

行って帰るまでの10分ほど、後ろから聞こえるのは後のグループの小さな足音と笑い声だけで、特に気になる事は無かったし
結局地蔵は見えなくて、噂はガセだったということになりました。

部室に戻った時、何も起こらなかったことに安心しながら、後ろの廊下を振り向きました。
後ろをついてきたはずの最後のグループを冷やかそうとしたんです。
廊下には誰もいませんでした。
でもすぐさっきまで足音は聞こえていたんです。

10時ぎりぎりになった頃、最後の3人がごく普通に喋りながら帰ってきました。
話を聞くと、やはり地蔵は見れなかったのでそのまま少し遠回りをして別の道を通ってきたというんです。

彼女たちも、足音と笑い声は聞いていました。
その時はまだ、「怖ぇぇー!!」とかいって、軽い心霊体験としてそれぞれ日記や小説のネタにしようかなんていって笑いあってたんですが。

その夜中。
私はなにか息苦しく寝つけなくて、数度目の寝返りを打った頃でした。

ふと扉が開く音がしたので、反射的に「誰かがトイレに起きて帰ってきたんだろう」と思ったんですが
その足音は、変に重たいのです。

そのとき直ぐ隣からうめき声が聞こえたので、私は飛び起きて隣を確認しました。
そこに寝ていたのは副部長だったのですが特に問題も無いと安心した直後、
はっと反対側、同輩の友人を振り返った途端、体が動かなくなりました。

首のない石像が、友人の上にのしかかっていたんです。

私は頭の中が真っ白になって、何も出来なかったんですが、
そこで別の1年生が何事かと起き出し、私と同じように友人を見つけて悲鳴を上げたんです。

その声で殆どの部員が目覚め、我に返った私は入り口にまとめてあった食料の中から、
味塩でしたがとにかく塩をと思い、その地蔵めがけて振り掛けました。

うずくまっていた地蔵が起き上がりこちらに向き直ってきましたが、もう無我夢中でとにかく塩を投げつけました。
部長達にたたき起こされた友人は、はっと目を見開いたままずっと天井を見つめていました。

その後、友人は呑気に「顔が塩辛い」とか文句を言ったりしてたんですが、
聞くと、肝だめしの時、なにかぼうっとした灰色のものが見えたが、皆が何も見ていないというので、
自分も話を合わせたのだといいました。

結局部員全員、眠る気にならず、その日はかたまって夜明かしをしました。
朝になるまで、誰一人口を開きませんでした。

あれが本当に噂の「首なし地蔵」なのか、それとも単なる私の見間違いなのかはよく分かりませんが、
もう二度とあの北校舎一階には近づく気になれません。 


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


れいらさんの体験

「登ってくる」

(2006年7月16日)


これは18歳の時、大学進学のため友人とともに上京した時の話です。

私はわりと駅に近く、それでいて安い物件を借りました。
ボロアパートでしたが、当時幽霊なんて信じていない私は何の躊躇も無く入居しました。
アパートは2階建てで、階段を上ったそのすぐ目の前が私の部屋でした。
入居してから6日くらい経った日から、夜に奇妙な声が聞こえるようになり始めました。

「幽霊かもしれない」と言うより「変態かもしれない」と言う恐怖から、
入居してから7日目、私は一緒に上京した友人を家に呼びました。

かすかに聞こえるその声を友人と聞きましたが、
友人は「たいしたことないよ」と笑顔でいい帰っていきました。

10日目
その奇妙な声がなんとなく子供の歌声に聞こえた気がしました。
でも私の部屋の周り、又アパートの周りにも子供は住んでいません。
駅が近いという理由からか周りは大学生ばかり。子供がいる気配はありません。

11日.12日
時が過ぎるごとのその歌声は私の部屋に近づいているようでした。

15日目
初めて歌声の内容が聞こえた気がしました。

「階段ひーとつのーぼったぁー
 明日もいーっぽのーぼろ」

かすれたような子供の声。
わけがわからない聞いた事がない歌でしたが、奇妙な恐怖を感じたのを覚えています。

19日目
ついに怖くなった私は、またあの友人を呼びました。
夜、息を潜め歌声を待っていると、またその声が聞こえました。

「階段ひーとつのーぼった
 明日は最後のいーっぽ」

もしや…と思い、朝が来るのを待ち、朝が来ると急いで部屋を出て調べました。

そう。私の部屋のすぐ目の前にある階段。
ちょうど、20段の階段…

歌声は「明日は最後の一歩」と言っていた。
つまり…明日最後の一歩を上ったら目の前にあるのは…

ワ タ シ ノ ヘ ヤ …

初めて恐怖を感じた私は、そのまま部屋に来ていた友人に手伝ってもらい引越しをしました。

何故、歌声が聞こえたのかはわかりません。
聞く気にもなれませんでした。

あの日部屋を出なければどうなってたのでしょう。
考えただけでぞっとします。


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


コロリさんの体験

「おめぇが会いに来ねぇから」

(2006年8月18日)


コレは去年のお盆に私が本当に体験した話です。
私は面倒くさくて、年に一度のお墓参りに行きませんでした。

その夜の事、布団に入ってからも寝つけず寝がえりを何回かしていると
だんだん意識が遠のいて、体に重いものがのしかかってるみたいに動けなくなったんです。

「金縛りだっ」と思いながらもどうすることも出来ず、ただじっとしていました。

その時、斜め上でじっと私を見つめている人がいるのが分かりました。

目をあける事ができなかったので、誰か確かめることはできませんでしたが、
不思議と私の祖父であることは分かりました。

しばらくすると、私の布団の周りをぐるぐる回り始め、
3周あたりで、私の意識は自然に無くなりました。

朝起きてから、「私の事が心配で、見に来たんだ」と不思議と分かりました。

今年はしっかりお墓参りに行って、
「去年は行けなくてすいませんでした。今年も私を見守ってください。」と静かにお参りしました。


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


マキカさんの体験

「見えてるくせに」

(2006年9月29日)


この季節、学校祭の準備で夕方、暗くなってから帰ることが多いんです。
いつもは、幼馴染の男子と帰るのですがソイツが早退してしまったので、6:30頃に1人で帰ることになったのです。

私の住む地域は、その時間帯にはもうあたりは真っ暗だし、学校から家までは約10分の短い距離で、
私は全く霊感と言うものが無く、まさかこれから自分の目で幽霊を見るなんて思ってもみませんでした。

いつものように学校を出て、いつも1人で歩く時のように、足元の石を蹴りながらうつむいて歩いていると
少し経った頃、ふと右手側の風が妙に強い事に気がつきました。
左手側には全く風が吹いていないのに、右手側にだけ向かい風が強いのです。

不思議に思って前を見ると、右前方に目を大きく見開いて、首が右側に傾き、
首から血をだらだら流している女の人がこっちに近づいてくるのです。

怖くなって、車道を急いで渡り反対側の歩道に移動して、何食わぬ顔で歩き続けました。
ふと前を見ると、またあの女が近づいてくるのです。

私の家族はみんな霊感が強いのでこういうときの対処法を言っていました。
@変なお経をあげたりしない。
A霊をからかわない。
Bじろじろ見ない。
C静かに息をし、声を上げない。
D見えないフリをする。
この5つを思い出し、見えないフリをして、あの女の人となるべく平常心ですれ違おうと思いました。

そして、その女の人が近づいてきて、
私とすれ違う時…その女の人はボソッと口を動かして私に言ったんです。

「見えてるくせに。」

ビクッとして後ろを振り向くと
女の人はニタァと笑って「やっぱり。」と言って大声で笑って学校側に走って行きました。
怖くって私は泣きながら家に帰りました。

その次の日、まだ風邪気味の幼馴染を無理やり学校につれてきたのはいうまでもありません。


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


蘭堂 竜さんの体験

「夜間使用者」

(2007年2月15日)


あれは私が小学生の時の話なので、かなり昔の話になります。
その時私が通っていた学校は、神奈川県内の幼〜高までの一貫教育の私立校でした。

私が小学校4年生になった年、長野県蓼科高原に学校の寮が出来たのですが、
かなりの山奥で、夏の間だけ小学校4年生から交代で、3泊4日の林間学校に使う為に作られたのだそうです。
私達は、そこの寮に宿泊する初めての生徒となったのです。

いよいよ林間学校当日。
部屋割りはくじ引きで、私たちは6畳間に4人1組の割合で、決まった順に端の部屋から入れられました。
私のあたった部屋は一番端の部屋でしたが、当時そんな細かい事を気にする生徒などいるはずもなく、
荷物を入れたとたん『即探検!』モードで、皆であちらこちらを見て回ったのでした。

その夜。
消灯時間などお構いなしに、先生たちの巡回の合間を見計らってはコソコソと話に花が咲いていましたが、段々とそれも寝息に変わっていった後、何故か私は夜中に目が覚めてしまい、1人で布団の中でジタバタしていました。
すると別の子も目が覚めてしまったようで、声を掛けられました。

そのまま暫く話しているとその子が『隣の部屋って先生達の部屋かな。男の人の話声がする』と言い出したのです。
壁に耳をつけると、確かに隣の部屋から男の人の話し声が聞こえます。
先生たちもこんな時間まで起きてて大変だね、とその時はその子と顔を見合わせてクスクス笑いながら布団に潜り込み、いつの間にか寝てしまいました。

翌日、どの先生たちが隣の部屋にいたのか覗きに行こうと部屋を出て初めて気づいたのですが、
私たちの部屋はドン詰まりの端で、話し声が聞こえた方向に部屋はなかったのです。

さすがに小学校4年生だったのでその時は気のせいだと思ったのですが、翌年から高校卒業までの間、あの部屋を割り当てられた人たちの中に必ず夜中に目を覚ますのがいて、あるはずの無い隣の部屋の話し声を聞く生徒がいるのです。

これは後日、学校の事務の人から聞いた話ですが、あの寮はやはりいわく付きの物件だとかで、工事中に事故で何人か亡くなったそうで、その後も色々と噂が出ていてなかなか売れず、格安で売り出されていたそうです。
今考えると私立校とは名ばかりの貧乏校のくせに、山一つ学校の寮だなんておかしいなと思ったのですが、当時はそんな事は判らず、新築で木の香りのする寮は、それでも夏の楽しみとなっていました。

あれから随分経ったので、今でも使われているのかは判りませんが、他にもあそこでは色々体験しているでその話はまたおいおい。


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


蘭堂 竜さんの体験

「仰げば尊し」

(2007年2月15日)


私が通っていた学校は幼〜高一貫制で、小中学年までは1クラスなのですが、高校生になると科が増え人数も2クラスになるシステムでした。
中でも普通科は2クラス固定で、1クラスは進学希望者でほとんどが下からの持ち上がり組。もう1クラスは進学しても専門あたりと初めから決めている持ち上がり数名と外部入学者組。
私は進学希望の持ち上がり組にいたのですが、どう言う訳かうちのクラスだけ昔から妙な体験が多かったのです。

小学1年の担任は、さして体が弱いわけでもないのによく入院して半年も経たずに担任から外され、3年の担任は、ある日、それまでした事も無かった昔話をいきなり話し出し『先生は、先生になってから一度も学校を休んだ事がないんです』と言った翌日に亡くなり、翌年担任になった先生は、授業中に『先生昨日事故にあった夢見ちゃった。皆も気を付けてね』と言った一週間後に事故に遭い入院してしまったりと、他にも色々あってとにかくどう言うわけか担任が継続しない、いや、できないクラスだったんです。
でも中学から高校3年の初めまでは、ようやく担任が代わる事無く過ごせたんですが、これもやはり『何事も無く...』と言うわけには行かなかったんですね。

高校3年のある日、朝登校して教室に入ると、なんだかやけに線香臭い。

そう感じたのは私だけでなく、入って来る生徒は皆『なにコレ!線香臭いじゃん!』と口々に言ってたし、窓を開けても臭いは消えず、かといって外から入って来るわけでも無く...しかもうちのクラスだけしか臭わない。
その上、その臭いを感じるのは私たち持ち上がり組と外部組の一部だけで、中でもうちのクラスはほとんどが感じていたのに、他のクラスの人が教室に遊びに来てもなぜか全然感じないらしいんです。

それまでの事を思うと不安にはなったけれど、なによりうちの担任はピンピンしてたし、他の授業の先生も元気に顔を出していたので、考えすぎかなぁと思い始めたころ、朝のHRに担任を受け持ってない先生数名が『1時限目自習』と言いに来て、そのまま午前中ずっと自習になってしまったんですね。

事態がわかったのは昼食直前、ようやく担任がやってきて、『昨晩、外部組の担任の先生が亡くなられました』と言うのです。
気が付けば朝からあんなに線香臭かった教室は、いつの間にか何時もの教室に戻っていました。

亡くなった先生は、うちのクラスの授業こそなかったけれど、中学の時からずっと持ち上がり組の生徒を気にかけてくれて、『本当にこのクラスは、この学校始まって以来の問題クラスだわ!』と言いながらも、色々とかばってくれたりした先生でした。
そう考えると、持ち上がりの生徒が一番多いうちの教室が線香臭かった事も、他の教室でも持ち上がりの生徒にしか臭わなかった事も納得が行く話なのかもしれません。
結局、なんのかんのと最後の最後まで平穏無事に終われなかった持ち上がり組でした。


えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;


この際だから私の恐い体験も語ったろかーという方はこちら

オレこわ扉に戻ります

夜話会に戻ります

夜会大扉に戻る