えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;
夏の夜の恐い話"しょにょ10"

「ミンチ」

これから話すことは、ちょっと平常心では読めないスプラッターな事実なので、
読んでる途中で気分を害した人は中断をお勧めします。(98/08/11-23:05)


今から17年程前、川崎の市役所どうりにある労働会館なる新築物件の工事現場に行き始めた頃の話だ。
私は当時、自動車通勤を認められず、やむなくバス通勤で現場に通い始めた。

今では川崎の駅前はきれいに整備され交通渋滞も無くなったが、当時の駅前はラッシュ時には、市バスや臨港バス達が先を争うように発着を繰り返し、まるで市場の雑踏のごとき通勤ラッシュが毎朝繰り返されていた。
私の住んでる町からは、一旦川崎の駅前にバスで出てから現場に行くのに別のバスに乗り換えなくてはならなかった。

ある朝、毎度繰り返される激しい通勤ラッシュにめげながらも、川崎駅のバスロータリーで降りた私は乗り換えのために、別のバス停まで急ぎ足で歩いて横断歩道を渡っていた。
当時の川崎駅のバスロータリーには、20から30のバス停が立ち並ぶほど過密状態だったのだ。

すると突然私の後ろで大きなバスのクラクションが激しい咆哮をあげた。
振り向くと私の目前に、ゾウよりでかいバスがうなりをあげ覆い被さるように迫ってきたが、一向にとまる気配を見せなかった。
筆者は一瞬パニックを起こしながらも、素早く横断歩道走り抜け、迫りくる大型乗合バスを回避した。
当時のその場所はそのような事が日常茶飯事だったのだ。

とにかくバスの運転手達は何かに取り付かれたように狭い駅前のバスロータリーの中での疾走を繰り返していた。それでも慣れてしまえば、あんまり気にならないものでまわりをよく見れば危険回避行動は不可能ではなかった。

そんなある日、私は現場で知り合った弱電設備の職人と二人で、取り止めの無い話をしながらバス停に並んでいた時
「ギギギギギイ―――ズザザザザザーーッ」
と激しいブレーキ音と共に、重いものが地面の上を滑る音があたりに響いた。

私たちの目の前を10メーターばかり通り過ぎた乗合バスが、急ブレーキを掛け停車したのである。
当然私たちのまわりは人ごみでごった返し、バスのあたりで大きなざわめきが起きた。

「きゃーっ」
どこかの誰か女の悲鳴が聞こえた。
物見高い筆者達は当然それを見に行った。毎日平和な日を暮らしている駅前に私は修羅場を見てしまった。

大型バスの後輪の後ろに1メーターくらい離れた所に、ぼろきれのような大きな固まりが目に入り、その大きなぼろきれの固まりの下の方から足が二本にょきっと出ており、バケツをひっくり返したように大量に血と透明な体液の海が広がっていった。

えーと・・・やっぱり今日は帰ります(^^;

交通事故だった。それも悲惨さ極まるものだった。
こんな事が現実に起こるものかと我が目を疑ったくらいだった。
猛スピードで疾走していた大型乗合バスに被害者は轢かれたらしかった。
どうも前輪で轢かれ、急ブレーキと共に後輪の大きなダブルタイヤですりつぶされたらしい被害者の上半身は消失してしまっていたらしかった。

人間あまり壮絶なシーンをいきなり見せられると、目がくぎ付け状態になりしばし呆然と立ち尽くし、その場で電柱のように固まってしまうものだ。
バスの運転手はびびって出てこなかった。

そうこうしてるうちどこからともなく警備班らしき人物達が集まり、被害者にむしろをかぶせ始めた。
筆者はむしろを被害者にかぶせたあたりで、くぎ付け状態から開放され、いきなり込み上げてきた嘔吐感と必死に戦った。

我に返った筆者は隣にいるはずの友達の弱電設備屋を探したが、見当たらず、方々目で探すと、いた。彼は、歩道にある簡易型植え込みプランターのきれいな赤い色をちりばめた葉キャベツの所にかがみ込んでいた。

その一件から一週間はろくに物も食えない状態が続いた。

私の印象の中には被害者の悲惨な現状は遠目での出来事だったし、本能的にそれを直視する事が出来なかったので、凄惨な現場を事細かく覚えてはいないが、脇にいた友達が汚したプランターを事あるごとに思い出すと赤い葉キャベツが目に浮かび、その時の凄惨極まる現場と重なり合い生唾を飲み込み口の中がすっぱさであふれるしだいである。

私も人身事故の経験があるが、悲惨さ極まる事故を招いた事は、幸運にもまだ無い状態が続いているが、横断歩道を横断中の老婆の足を不注意にタイヤで轢いてしまった事があった。

その時は私の車は一旦停止し老婆の横断を待っていたのだが、その老婆はその場を動かず私の車の通過を待っていた。
しばし沈黙が続き、苛立った筆者は車を発信させた。
すると何とその老婆も苛立ち渡り始めたからたまらなかった。
渡ろうとした老婆の初めの一歩が筆者のタイヤの下敷きに、、、
後はだいたいの人が察しは付くと思うが、とにかくその時は大変だった。
警察やら保険やら八方手を尽くし、落ち度の無い賠償を思い付く限りしたつもりだった。

その老婆は子供たちと離れアパートで一人暮らしをしていたのだが、夜中にさびしくなると必ず私のとこに電話をしてきて言うのだ。

「あんたのおかげで痛みが取れないんだよ」
私はそのたびにお茶を買い込み、老婆のアパートに上がり込み、一通り話を最低でも2時間は付き合った。
そんな事を1年近く繰り返した時その老婆が言った。

「ごめんね、あなたの誠意はもう十分受け取ったよ。わたしゃさびしかったんだ、これからもちょくちょく寄っておくれ」

私はうれしかった。
それから一ヶ月くらいに一度はその老婆をたずねていたが、ある時を境に頻繁に留守にする事が多くなり、自然と行かなくなってしまったが、思い出すと何か胸が熱くなるおもいである。

交通事故の話は話しつづけると無限に記憶がよみがえってくるが、管理者さまが先日言っていたおかま事故にしても、死人が出なくて何よりだったと真剣に思う。

あびない、アビナイ。
車に乗っている諸氏たちにはくれぐれも交通法を守り、安全運転を心がけてもらいたいと思う。

追信

交通法規にある制限速度をご存知だと思うが、何を根拠に決めているか知っている者は少ないだろう。
あれは危険回避に要する停車距離を計算に入れた、その場で止まれる最高速度の事である。

私はこれを如実に体感した事がある。
私は過去、累積違反を14点まで積み上げ、後何か事を起こせば免許取り消しってとこまで行った事がある。

商売柄、免許が取り上げられると仕事にならないのは当然で、思い余った筆者は法定速度を厳守し、まわりが40キロ道路で60キロで飛ばしている交通の波の中をまわりの迷惑をかえりみず、法定速度を忠実に厳守していた時、自転車に乗った小学生が目の前に飛び出してきた事があった。

間一髪止まる事に成功したのだった。
その時60キロ出していたら間違いなくアウトだった。
まあ60キロで進行していたら、少年の飛び出しは車の通りすぎた後にあったかもしれないが、とにかく止まれたのだ。

このように法定速度とは緻密に計算された結果生まれるもので、決して自民党の小渕さんが「こんぐらいにしておけば」って言う具合に安易に決められたものではない事を、深く理解してもらいたい所存である。


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