趣味の話タイトル


しょにょ1●「欲望」
スニーカーに関する蘊蓄

しょにょ2●「侍」
居合道に関する蘊蓄

しょにょ3●「愛のあかし」
鑑賞エビに関する蘊蓄


趣味"しょにょ1"

「欲望」

スニーカーに関する蘊蓄(98/07/19-00:49)


ブラッドピット主演のセブンの映画の中に登場する、人が犯す七つの大罪にも取り上げられる中に「物欲」も含まれると私は思う。

あなたは、限定品とかプレミアム物なるものを何か必ず持っていると思うが、それはいわゆる数の少ない物などを示す言葉だが、これが我々人間にとって非常に厄介なものだ。

物欲と対決するには岩のような硬い意志が必要なわけで、ちょっとすきを見せると自分の中を占領されてしまう。
第三者的見解で大変卑怯に聞こえるが、そうでもしないとほしい物を手にした時の自分が実に哀れに、そしてコッケイに見えるからだ。

人によっては限定生産品のルパン3世の富士子ちゃん人形が死ぬほどほしかったりするものだが、筆者のカテゴリーであるスケベビデオはこの種族には存在しない訳で、あれはつまり、性欲の分野で、、、それでもって、、、、

要は自分に納得の行く言い訳をしたいだけなのだが、このおかげでちょっと我が家は生活空間を占領されるに至ってしまった。

事の起こりは、この日本中を取り巻きアジア各国に飛び火している「不景気」ちゅう奴のせいにしたい筆者だが、とにかく今まで結構高い値段で売られていたものが、ある日突然安くなったら、、、
早い話、私の場合は「スニーカー」である。

これも色々種類があり、コンバース、ニューバランス、フィラ、アディダス、リーボック、、そしてナイキだ。
筆者の場合この「ナイキ」である。ここ半年の間にナイキのスニーカーが暴落しているのだ。

私の場合、はじめはバスケシューズから始まったのだが、ちょっと渋谷に仕事で出かけた時の事だった。何気なく道玄坂あたりに昼飯を食べに行った時、靴屋の店頭に投げ売り状態で売られていたのだ。ついでに言うが渋谷と言う町は実に靴屋が多いのである。

その時は、タービュランスと言うそのバスケシューズだったが、これが1万円ぐらいだったのがいきなり四千円ときた!!目を疑ったが、緊急事態を感じ取った筆者は瞬時にそれをゲットしたのは言うまでもない。
とにかく筆者は前々からナイキのシューズに感心があったのだが、いかんせん1万円以上するものばかりだったので、とても買う気になれなかったのが現状だった。
時にはウインドウにへばりついて見つめた時もあったが、かろうじて「ナイキ狩り」なるものには参加するには至らなかったが、それにしても高かったのだ。

とにかくナイキは、生産国は多種多様だが、仕上げは極上と言っても過言ではなかった。
それに独特のエアー構造が何ともマニアの心をいたくくすぐるのだ。
履いた者にしかわからないが、言うまでもなく、履き心地は満点である。
だがこれは非常に頭の痛くなる問題だが、ナイキのシューズは、実に種類が多いのである。そのカテゴリーたるや、バスケはもちろん、ランニング、アウトドアは言うに及ばず、トレーニング、野球、サッカー、テニスはもちろん、水中用まであるのだ。この全種類の靴の種類たるや200種類は下らないだろう。
それのすべてのナイキに、靴屋の店頭から「私を買って」と手招きされるのだ。

前記で投稿したように私はエアロビクスの鬼でもある。履く理由が、いくらでもあるのだ。
おかげで、ジョーダンシリーズはもちろん、バスケは一通り、クロストレーニング、エアマックス95、96、97、98、アウトドア、おまけにアディダスのパンディモニアム、同じくアディソリューションまで買い込む始末だ。
大体値段は五千円くらいと決めているのだが、ほとんどがこの値段で手に入れられるのだ。

そこらへんの靴屋じゃあ売ってない?・・・当然である。
マニアは、渋谷は竹下通りからアメ横まで徘徊しているのである。
それに私の場合、仕事柄、秋葉原の電気街にある。部品露天商まがいなところに行く機会が山ほどある。悲しいかな秋葉原の隣は御徒町である、つまりアメ横があるのだ。
理屈を言えば、川崎から上野まで首都高速代が千4百円かかる。その他駐車場代もかかるので、三千円くらいの出費である。当然差し引き赤字になりそうだが、多くの靴屋の店頭に並べられためずらしいナイキたちを物色するのが、たまらなく面白いのである。
アディダスのパンディモニアムの赤白を五千円で見つけた時など涙さえ浮かべたものだ。

それに市場じゃあもうあまり出回っていない。
青白のエアーペニー 2を手に入れた時など、家のなかじゅう寝るまで履いていた。もちろん五千円でだ。

ゆえに筆者の部屋からあふれたナイキは、今や我が家の廊下にも侵食を始めるしだいである。
もちろん嫁さんには、「これで最後だ」と言う言葉を数え切れないほど口にしている。

この自分に対する言い訳が面白い。
筆者は、若いころから酒の席には縁があり相当スナックあらしをしたもんだが、今になってその気もなくなり、家でちびちびウイスキーをなめていても、精神的苦痛にならないのだ。
スナックや居酒屋に飲みに行っても少なくても五千円から一万円位はかかる。
飲みにも行かない筆者が一回飲みに行ったと思えば安いもんだ、と言い訳をするのである。

おかげでスニーカーに囲まれる生活をこころおきなくおくっているわけだが、今は一足ずつラップをほどこし自作で棚を作り、酒をなめながら、それを眺めるのが唯一の楽しみでもある。

こんな私であるが、人の迷惑かえりみず、結構しあわせである。

趣味"しょにょ2"

「侍」

居合道に関する蘊蓄(98/07/19-22:45)


私は中学、高校と体育会系の青春を送っていた。
柔道、剣道、そして居合道と古武道に熱中していたのである。
特にこの居合道は中学一年から高校卒業まで6年びっちりしごかれたのだ。ご存知の諸氏もいると思うが一応説明しよう。

居合道は、日本古来から伝わる武道の一つだが、柔道、合気道、空手と違い、武器を操る武道である。俗に日本刀と呼ばれる長い刃物で対人攻撃、防御を行い、時には殺傷する目的の武道である。

当然柔道などとは違い、今の時代実戦で戦う事はありえないが、その昔、日本中の人間たちは、その武術を体得し、時には威嚇に、時には殺傷に、文字どおり力と技で時には相手の命を奪い取って、その歴然とした生死で実力を証明する手段でもあった。

私たちがいつも歩いている道と同じ場所で、200年前に繰り広げられていた実際にあった世界である。
日本全国に無数の流派が存在し、歴史に名高い武蔵は、真影流を世に轟かせたのは有名な話である。

私の属した流派は、夢想神伝流と言い、数ある流派の中には剣道の時に発する威嚇の気合を発するものも存在するが、読んで字のごとし、終始声を立てず、まして物音も立てる事を拒まれた流派であった。
今は亡き、勝新太郎演ずる座頭市が仕込み杖を逆手に持ちバッタバッタと敵を斬り殺すシーンがあったが、実際、その手法の流派も名前こそ失念したが存在するのである。

実の所、県大会にも出場した事があったが、少々違う青春のしすぎで、辛くも予選落ちをきしてしまったが、この県大会、そして全国大会はすべて、「カタ」といわれるもので競われるのである。

この「カタ」と呼ばれるものは、対象が木でも、石灯篭でもなく人である。

つまり、対人攻撃姿勢を色々な形で表現するもので我流派には、「こらんとう」、「しょはっと」、「けさあおりぎり」、「かいしゃく」数々あるが、中でも「かいしゃく」が私の中では一番印象深い。

これは武士、侍が切腹をした際、あまりの恐怖と激痛にぶざまなあがきをしないがため、本人が十文字に腹をさばいたあとに行われる首切りである。
館長は、「かいしゃく」こそが武道の神髄とさえ言っていた。

そしてよく教えられたのが人の切り方である。
普通の人が体を鍛えるために行うスポーツから見れば尋常な世界ではないと思うが、居合道とは、古い歴史の中で共存してきた日本独特の生命精神力そのものなのだ。

剣道は居合道の延長線上に位置するスポーツなので、実際小手、面、胴と言う技の種類はすべて打ち込むという概念だ。
それに対して居合道は、なめる、ひく、突き刺す、という。

ひく、と言うのは誰でも承知だと思うが、刺し身を切る時に包丁は押したりたたいたりはしないのである。
日本刀を大きく前に振り下ろし、握る部分を自分のへそのあたりに戻してくる、つまりは「ひく」である。
刃物はひく事によって切れ味が増すのである。

外国の場合この概念が逆である。押すのである。
証明の一つにノコギリが取り上げられるが、手前にひくのは日本だけで、外国では押すのが主流である。これは、フェンシング、剣のたぐいの概念である。

そして独特の「なめる」。
日本刀と言うものは、素材はハガネと言うもので出来ており、これが結構もろいもので、硬いものに当たると割れる性質がある。
そしてもう一つ、居合道は、威嚇、牽制にも広く活用された最小限の殺生を除外する為だ。
人間の表面は柔らかい肉で覆われている。この肉を切る事によって相手が戦力を喪失するのだ。
館長がこれまた熱心に私に色々と教えてくれたのだが、今更考えるに、アメリカの銃社会と何ら変わりない世界が、町の公民館や道場で繰り広げられているのである。

ついでにもう一つ、世に存在する名刀の話だが、ファイナルファンタジーの世界でも取り上げられている「妖刀正宗」「雨の村雲」・・その手の話だ。

日本刀と言うものは刀鍛冶なる人物が精神を込めて鍛え上げる代物で、真っ赤に焼けたハガネを限りなくハンマーで叩きまくり、粒子の隙間を狭くし、硬い、そして鋭利な切れ味、なおかつ折れにくい刃を鍛え上げ、最後の一瞬、気合と共に焼けた刀を水に浸け、引き締めると聞いたが、この水に浸ける瞬間、名刀なるものが生まれるのである。
大気の湿気、そして浸す水の温度それらで刀の価値が違うのだ。

一番重要なのは水の温度である。
一番いい刀を打ち出す温度は、36℃前後だそうだ。俗に言う「人肌」である。

その昔、ある町で将軍家に献上する刀を鍛冶が打っていたが、どれも会心の作とはいえず、なまくら刀を献上したのではお家取り潰しも免れない、、
思い余った鍛冶は、そばにいた女房を斬り殺し、そのしたたった人肌の温度の血で刀を打って献上したそうだ。
まれに見る名刀だったがその刀の持ち主には血しぶきが伴う災難が付きまとうと言う俗に言う妖刀正宗伝説である。

江戸時代には、この刀に等級なるものがあった。
与えられたのは三つ胴、四つ胴、五つ胴なる称号だ。
早い話、読んでの通り、四つが五つになってくれば名刀である。

この五つ胴とは当時の刑務所に当たるものから罪人を引き出し、むしろをひいた両脇に打たれた太い杭に両手足を縛りつけられ、五人縦に積み重ねられ、一番上の罪人の腹をめがけ刀を振り下ろし、ものの見事に五人切れれば、五つ胴である。
これは死刑を兼ねたもので、むろん生きたままの状態で執行された,,,実際この日本で行われていた出来事である。

4、 5年前に何かの旅行で会津若松に行った時の事だ。
会津若松は、白虎隊で有名だが、当時の面影を会津城に保存してある。

私はこれまで色々な日本刀を見てきたが、白虎隊の残した刀を見た時、何か思いを遂げられなかった強い怨念を感じた。
城の落城を嘆いた白虎隊は全員自決したそうだが、実際に人の血を吸った刀に驚愕したのだ。
刀身は不気味に紫色に輝き、見たものを引きずり込もうとしているような、滲み出す怨念を感じた私は、そのショーケースから逃げるようにして城を出た。

殺伐とした世の中は波乱に満ち、人間たちは宗教の違いで殺し合う。
いつしか世の中はローマ帝国が崩壊したように、未来にもバイオレンスジャックのような世界が訪れるかもしれない。

果たして、その時私の身につけた武術は、いったいどこまで、役に立つのだろうか?

趣味"しょにょ3"

「愛のあかし」

鑑賞エビに関する蘊蓄(98/07/25-22:54)


皆さんだいぶ煮詰まってるようですね。
ショリでは、ワタクシめの起き掛けの清涼飲料のようなさわやかな話題でも読んで頂ければすっきりできるかもしれません。
なお、保証は出来ませんので、すべてのクレームはサイト管理者様預かりとさせて頂きます。
んじゃ・・・

私の数ある趣味のうちの一つのに、海水魚飼育がある。

一般的に原色を身にまとった魚たちは、実にきれいで心をなごませるものがある。
しかし、その魚たちにはあまり興味がない。

この趣味には多くのカテゴリーが存在する。
筆者の場合、俗に無脊椎動物と言われる造礁珊瑚達も含まれる、インバーティブリッツと呼ばれるもので、早い話が海岸のシオダマリを水槽に入れたものだと思っていただければ、わかりやすいと思うが、その中でもエビの魅力に取り付かれた一人である。
一般的な概念は食料に当たるものだが、その他にも色々種類が存在するのだ。今度何かの機会にペットショップに行く事があったら、ぜひ海エビ類を観察してほしい。

話は元に戻るが、海水魚を飼育する際、もっとも重要とされる事が、水を造ると言う事である。

海水は淡水と違い、大自然の循環機能を最大限に活用しなければ、長期に渡っての飼育は不可能である。
早い話、循環ろ過機能であるこれを水槽に活用しなければ、海水生物飼育は困難を極める事となる。今でこそ玄関に二つの海水水槽を設置し毎日世話をしているが、はじめはなかなかうまく行かないのが現状である。
参考文献にも飼育に当たってのろ過装置のセットのしかたとか、色々載っているが、その通りに行かないのだ。
これから海水生物飼育を始めようと言う諸氏たちは、最低でも1年くらいは、苦しむ事を覚悟しなければならない。
筆者の場合、それでもエビの魅力を捨て切れず、6年前に決心をし、現在に至ったのである。

そのエビの話だが、これには複数の種類が存在する。

クルマエビを代表とした食用のエビたち、実の所このクルマエビ族は鑑賞していると、実にイライラする。年中えさを捜して泳ぎ回り、ただただアリのように動き回るだけだ、、

藻エビのような種類の、群集をつくり、アメリカンバッファローのように群れのボスが存在し、集団で狩りをする種族もある。

他にも、寄生エビの種類、クリーナーシュリンプの種類などあるが、これらは実に色彩鮮やかでユニークな行動をする。
野生のカバの背中に鳥がとまり、背中の寄生虫をついばむシーンをテレビで見た諸氏も多いと思うが、海水の中にも、その鳥の役目をするエビが多数存在する。

彼らは自分の存在を相手に知らせるために、あのように鮮やかな色彩を持っているのである。それでも物足りない種類は、腰を左右に振ったり、はさみ足を小刻みに動かす事で大きな体の相手にアピールするのだ。

中でも私が6年間愛してやまないのがオトヒメエビである。
彼らは、クリーナーシュリンプの中でも特に縄張り意識が強く、完全一夫一婦性である。
外観は長い手足に大きなはさみ足、赤と白の鮮やかな外形で、ヒゲが実に長い。
このエビが実に人間に近い意思表示をするのだ。

たいがい、オスとメスは別々で売られていて、それを体色の違いで判断し、ペアリングするのだが、私が選んだ相手を気に入らないと殺し合いをするほどのけんかをするのだ。
しかし、気が合えば死ぬまでそいとげる。

エビは、ある一定期間で脱皮と言う行動をする。この時、硬い殻から抜け出た自身は非常に柔らかい状態にある。
ようは、ほかの生物から見れば絶好のえさであるそれを、妻が脱皮の瞬間から夫の安全を脇で守りぬくのである。
何かの拍子に魚などが近くに来ようものなら、長いはさみ足で攻撃しまくるのである。(現代の人間たちもこのような種類は減少しつつあるようだが、、)

そして縄張りだ。
水槽の掃除のために。縄張りにある石を動かそうものなら、夫婦にとって大事件である。
長い足を振りかざし威嚇しながら、動かした痕跡を徹底的にチェックするのである。そして動かした私のほうに向かって夫婦で威嚇し「おれたちの庭を荒らすな」と、怒るのである。

最後に寿命だ。
大体、3年から4年が寿命だが、まれに10年なんてのもいる。油坪マリンパークにいるデカイ、オトヒメエビがそうである。
これまた自然界の法則により、オスがメスより短命である。

つい半年くらい前、添い遂げた夫婦のオスが臨終した時、たまたま私が立ち会う事になってしまったが、涙なしではかたれるものではなかった。

こと切れたオスの周りをメスが外敵から守り続け、しばらくして事の事情に気がついたメスはオスをつつき始める。反応がない事で臨終を理解したらしく、一時間位オスに覆い被さるように動かなかった。
「喪に伏している」ようにさえ見えた私は、思わず自分の人生を垣間見るような錯覚を起こし涙した。

そして何やら動き出したメスは、何とオスを食い始めたのだ。
えさと化したオスは、手足をちぎられ、たちまち解体され、メスの腹におさまってしまった。

気づかった私は、一週間位たったある日、ペットショップに行き、オスを一匹譲ってもらった。
はやる心を押さえながら、生き生きしているメスのいる水槽にオスを入れてやった。大きさも似たようなぴったりの似合いの夫婦の出来上がりに、ちょっと喜んだ私だったが、次の瞬間メスがオスをいきなり襲い、丸かじりであった。 どうも四十九日が済んでなかった事を思い出し、余計な世話を焼いた自分をちょっと責めてしまった。
以来その水槽では、今でもメスが独身生活をエンジョイしている。

仮に極限の状態で、私たち夫婦と子供が生き残ったとしよう。
私が死にぎわ、嫁さんに「食い物がなくなったら俺を食ってくれ」と、言い残して死んだとしよう。

果たして嫁さんは、どうするだろう?
脇に娘でもいようものなら、まず迷う事はないだろう。

筆者には取り巻きの諸氏からの「煮ても焼いても食えん男だ」と毒舌攻撃もしばしばだが、私が思うにこのふくよかな体を見るに、生だと食アタリを起こすのは歴然である。
かといって、味のしみこむ ナベ で煮ると「くどい」とか 「しつこい」とか文句を言われそうなので、あっさりとアミで焼いたほうがお勧めである。




管理者注*ちなみにこちらはおやじ32号、趣味の究極。
身上潰しかねないその勢いは、人様の家庭ながら女房殿には同情の念を禁じえないところである。
クワガタ浪漫

ちなみに夜会管理者としては勧誘等に協力する目的はなく、
趣味感染については一切関知しないものと致します。
クワバラ、クワバラ・・・・・

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