吼える巨人ベラスコの亡霊にびびりまくったあの頃
「家」モノ最高峰と絶賛したいところだったのだが

ヘルハウス THE LEGEND OF HELL HOUSE
1973/米 監督:ジョン・ホッフ 脚本:リチャード・マシスン 出演:パメラ・フランクリン、ロディー・マクドウォール

 幽霊屋敷と呼ばれる古い邸宅の怪奇現象の謎を解明し、現象そのものを止めてくるようにという仕事依頼を受けた主人公たちが挑むと言う、いわゆる「家モノ」のはしりである。
 ずいぶん古い映画ではあるが、当時は何度もテレビの洋画劇場で放映され、私はすっかり「吼える巨人=エミリッヒ・ベラスコ」と言うキーワードに酔っていたのだ。


 物語は、物理学者Dr.バレット(クレイヴ・レヴィル)が仕事の依頼を受けるシーンから始まる。Dr.バレットは妻を伴いその「幽霊屋敷」に乗り込むが、他に「物理霊媒」のベン(ロディー・マクドウォール)と、「心理霊媒」のフローレンス(パメラ・フランクリン)も同じくその仕事を依頼されており、4人は数日間その屋敷に泊り込み寝食を共にする事になる。

 屋敷の怪奇現象に挑んだ数十人のうち、存命しているのはたった二人。一人は半身不随で療養生活を余儀なくされ、残る一人が今回同行するベンであった。残りはこの屋敷で起こる怪奇現象に縊り殺され全て生還できなかったと言うのだ。

 はたして屋敷の中で何が起こるのか、その現象を引き起こしている原因はなにか、「呪い」を解く鍵はいったいなんであるのか。
 ここで起こる現象を唯一体験しているはずのベンは知的な青年ではあるが、寡黙で無愛想で非協力的な皮肉屋で、いきなり「生還する事だけを旨とし、たたりには何も触れず見ず聞かず、時が過ぎる事だけをひたすらに祈り、金だけ貰って帰ろうじゃないか」と発言する。

 フローレンスは真面目だが感情に流されやすく、まだどこかに幼さを残したままの若く美しい女性霊媒である。屋敷に入ると同時に邪悪なモノを感じとり、その原因と「祟り」の根源を探り当てようとするが、夜な夜なこの屋敷の亡き主ベラスコの息子ダニエルと自称する「カワイソウな」自縛霊に悩まされる事になる。

 物理学者は石頭、研究に色気と食い気は関係無しと言う朴念仁である。学者と言う肩書きどおり、冷静に二人の霊媒の言い分を解析するが、最終的にはオレサマ一番で「この騒動は電磁波の影響で起こっており、解決できる」と結論する。

 そしてその妻アンは、石頭の亭主におよそ似つかわしくない熟れた魅力の人妻である。大して頭が良さそうにも感じられない。石部金吉の物理学者に惚れたのは、おそらく己にはないものを求めた結果であろう。

 4人が険悪な雰囲気になるたび、今では家モノに限らず、ホラー映画のお約束となっている怪奇現象が次々と起こる。亡霊の気配、ポルターガイスト、交霊からエクトプラズム、その後に公開された「エンティティー」でお馴染みの霊による陵辱シーン、憑依による色情化などなど、いや、こりゃまいったなぁ状態である。
 確かにまだ社会的道徳意識が未成熟で、中途半端にそういう手の情報が垂れ流されている状況下、鉄壁の想像力だけで呼吸をしているような小中学生には刺激が強すぎたかもしれない。
 そうか、これだから「トラウマのように」私の記憶に貼り付いていたのか。

 しかしながら、この映画一本で当時多数の男性ファンを魅了したパメラ・フランクリンは、よくよく見ると聖母的役割を担っているように思うわけだが、それにしては青臭く、ただわがままなだけのお子様お嬢ちゃまのように映るのは、私が年を食ったせいだろうか?これを「感受性豊か」と表現するのは少し苦しいものがある。

 脚本は大きく4部で構成されていて、まず幽霊屋敷と怪奇現象の解説と現象例、次にそれぞれの持つ個性の解説と過去/因縁の確認、次にベラスコと言う怪物の正体とクライマックスから謎解き、そして終結である。

 どこか散漫な感じを受けるのは、最終的にベンが解決する事になるこの物語の、解決に至る経過で主人公はあくまでも彼ではなかった事から来るのだろうか。というか、伏線が無く、物語は全て場当たり的に進行していくからかもしれない。
 今では低学年がターゲットの探偵物アニメでしかお目にかかれない、「(伏線はどうであれ)最後に登場人物の誰かが延々と解説して見せる」と言う古典的な手法である。

 前半でベンは、当時で言うノンポリ風来坊で、投げやりに参加しているが、後半、学者が悪霊調伏に失敗してからと言うもの唐突に奮起し、ベラスコに敵対していくと言う経過にはとても無理がある。その転換のきっかけになったものがいったい何なのか、要するに、物語的にこの辺でクライマックスかなというあたりで唐突にそれは起こり始める。

 フローレンスにしても、前半の聖女然とした潔癖さは、後半ベラスコの裏切りに激怒するあたりで生かされるべき所だと思うが、そこらの色男に入れ揚げた挙句体よく処女を奪われたハイティーンの如く「あんた!私を騙したのね!」といきなり被害者なりきりで狂乱するあたりはただのヒステリーにしか見えない。しかし、仮にだ、それが彼女の言うように「カワイソウなベラスコの息子」だったとしてもだ、その後彼女は彼をどうするつもりだったのだろう?

 学者においては、「霊は科学的に立証できる!」とどこぞのタレント教授の如く息巻いているだけで、被害をいたづらに拡大するだけの存在、その妻においてはなおおざなりで、特に大役は無いが中で色情霊には取り憑かれ、若いもんの前でいきなり脱ぐにもかかわらず、見せられた若い男は顔色一つ変えず「いやぁこれは霊の仕業ですからぼかぁこれっぱかしも気にしてませんから」とか、わずかに軽蔑の色さえ見せつつ冷徹に言い切られちゃうしで全くカタナシ、挙句に亭主には死なれ、ほうほうの体で屋敷を逃げ出すと言う単なるお騒がせキャラである。いや、色っぽいオクサンなんだけどねぇ。

 なんでこんなにちぐはぐな脚本になってしまったんだろう?などと考えるに、「だから人間は弱いのだ」とかがテーマだと言われてしまえばそう思えなくも無いわけで、そうよねぇとため息をつくしかないわけで(^^;

 しかしながらだ。ここまで酷評をしてなお、私はこの映画が好きである。
 まず7O年代というとりあえず薀蓄ありきと言う年代の濃ゆさも好きだし、ベラスコがその屋敷に執着し、なぜ「吼える巨人」伝説になり得たかという疑問に対する答えも明快、 学者と霊媒、科学と心霊と言う対極が対極らしく描かれているのも頷けるし、若手二人組フローレンスがベンと恋に落ち見事生還を果たすと言うお手軽な脚本でなかった事も救いである。
 そのへんあの年代の人々は、やはりぎりぎり紙一重のところで捨ててないよなぁよしよし見上げたもんだと、なにやら妙な部分で共感しにやつきながら見た一本であった。

 後にベン役のロディー・マクドウォールは吸血鬼ホラーの「フライトナイト」で引退間近の吸血鬼役者ピーター・ビンセントを演じるわけだが、作中の老役者の悲哀と言うのは、当時大ヒットをかましたこの「ヘルハウス」が、彼の役者人生にどれだけ多大に影響していたかがうかがえるところもなんとも感慨深い。

 後世「ホーンティング」と言う映画ができて、やはり家モノで「傲慢で残虐な城主が取り憑いた家の怪奇現象を解明するため依頼された数人の男女が遭遇する恐怖譚」と言う、言うなれば設定も何もかもがなぞってある映画だったわけだが、イマドキのCG技術を駆使してなおたいへん不評であったし、当然ながら私も380円返せと言いたい一本であったわけで。
 あれを見て「いやー昔ヘルハウスという映画があってねぇ。あれは現象は地味だったしCGなんか使ってなかったけど秀作で・・・」などとぶいぶい語っていはしたが、こう改めて見てみると、あまり大差は無いように感じてしまったのも、やはり年食ったせいだろうか(^^;

 いや、でも、家モノにはまだ執着が(笑)
 何か機会があったら、カレン・ブラックの「家」も再見して取り上げたいと思う。
 あれはB級ホラーの女王@カレン演じるところの女房の銀食器に対する執着や、正体不明の老婆の介護を結果的に女房だけがするという不条理な条件だの、怪奇現象ががんがん身辺に起こっているにもかかわらず、特に気にもしないし対処もできないダメ亭主等等、子供時分より一層リアルにシンクロできるような気がする(笑)

 「家」・・・新しい土地や人々や住まいに馴染むまで、私も相当かかるほうだが、こう頻繁に血生臭い事件が後を絶たない昨今、お引越しには十分お気をつけて。

 END



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