長文感想ばかりの中で、これに関してはさほどの感想も無い。
単純にシガニーの出る映画だから見たのだ。監督がロマン・ポランスキーというのにも、今こうして資料を引っ張った時点で初めて気がついてたりして。それにしちゃ、どこがどうポランスキーだったか?という印象しか無いのだが、これは私の不勉強も十分な理由となっているから気にしないように。
何度も言うように私はシガニーのファンなのだ。シガニーが来日すると、今日彼女は少なくともここと同じ濁った空気を吸い灰色の空を眺めているのかと思うだけでどきどきする。
ナチスドイツに思想犯として捕らえられ拷問にかけられたという過去のある女シガニーが、かけた相手に偶然出会い、それをぼこぼこにする話である。
大体シガニーを拷問にかける事自体が間違っていたのだ。シガニーは最強である。かの無敵生物エイリアンに向こうが張れる人間は、宇宙広しといえど彼女しかいないのだ。
彼女が、私はこうもされこうもされ、女としてこんな辱めを受けたのは初めてで、いまだにこんなにほらトラウマにもなってるくらいよ!泣いて拝んだのに許しちゃくれなかった、その中でこいつはさらに最悪で、優しい言葉をかけながらそれをした悪魔だったのよーーっ!!・・・と、いくら彼女が訴えた所で申し訳ないが臨場感はない。だってリプリーだし。
それより、そこで揉めてたり訴えたりしてる間に死んじゃうんじゃないか?と心配になるのが、椅子に括られた元拷問担当医である。
銃床で額を殴打され血をだくだく流しながらも、彼は物語の最後の最後まで、自分がそうだったとは言わない。なぜならば、彼は捕虜を殺さないように補完するのが職務であり、その間つい出来心でコトに至ってしまった訳で、筋合い的にはなにもそこまでな話なのだ。
彼女の現亭主の車が故障し、立ち往生しているのを拾って大雨の降りしきる中家まで連れてきてやったのも彼であった。根はそんなに悪いやつじゃないじゃんというのもある。
人間忘れたい過去というのが数々あるが、それがこの物語のように最悪最低な記憶であればあるほど、無理矢理にでも遠く彼方に忘却してしまった後、寝た子を起こすような出会いがあるという事ほど残虐な運命はない。
しかし、夕飯はいいかげん、それで文句ある?と突き出す彼女、むっとする亭主にあぁ?と振り返る彼女、拷問医をトイレに立たせ、にやにやしながら後ろから眺める彼女、いきなり冒頭で車を人力で崖から突き落とす彼女はやはりリプリーでしかない。
彼女の不幸は、野中の一軒家で専業で日がな一日その最悪な記憶を繰り返し繰り返し反復していた事である。
元運動家の亭主の不幸は、彼女がリプリーと知りながらも、もしかしたら拷問で死んじゃってるかもと油断して彼女以外の女に乗り換えた事であり、それをましてや彼女に知られる所となってしまったマヌケにある。
そして、拷問医の不幸は、デキゴコロしてしまった彼女がリプリーだという事を知らなかった事だった。
全編通して男が不幸な映画である。・・・合掌。
END
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