私は、誰がなんと言おうと、とにかくシガニーのファンなのだ(笑)
シガニーにはいっぺんでいいから抱かれたいっ!(T-T)(って、おいおい)
「キャリア・ウーマン」の時もそう思ったんだけど、本当に彼女は自分の適材適所と言うものを心得てる。しかも、それに甘んじているからではなく、そこにいてなお、主役さえ食い尽くしていく。そのパワーに惚れ込んでいるのだ。
「キンダーガートン・コップ」や「T2」でのシュワちゃんのように「俺を食ったらゆるさねぇ」的な出方ではなく、彼女はおそらく顔合わせする時に後輩にこう言うだろう、「ま、好きなようにおやんなさいな」。・・その余裕がたまらない。
物語はみんなの知っている白雪姫。
幼児向けの童話としてしか読んだ事が無いので、白雪姫の本当の母親と言うのがああいった死に方をしている事や、悪い継母(シガニー)の弟の存在などは聞いた事があるような、無いような。考えてみれば、人魚姫などは原作では結構最後は壮絶なので、そういったものが原作にあるのかもしれない。
物語とおそらく違うのは、毒リンゴを食った白雪姫を救うのは王子ではなく7人の小人の一人であった事と、悪い継母が後生大事に死産した我が子をかくまってるところか。
この話で着目すべき点はこの継母。始めはそんなに悪いやつじゃないのだ。
魔力の宿る鏡が嫁入り道具だったり、使い魔のカラスを飼ってたり、呪いで次期城主である男児を宿したりと、黒魔術の心得はあったと思うが、どうしても初めからの極悪非道だったようには思えない。
連れ子のいる再婚と言うのは世間でも難しいとされているが、物語の導入部にその事が丁寧に綴られていく。
自分の愛すべき妻が瀕死の状況だったのを手にかけてまで得た白雪姫と言う愛娘に対する父親(サム・ニール)の娘への執着。その際失った最愛の妻に残されたままの彼の心。日に日に妻に似てくる愛娘への愛着。
そういう状況の中で、召し使いやその親子からの疎外感をいつまで経ってもぬぐえない継母。その疎外感故に唯一亭主の心を繋ぎとめているであろう、若さと美へのこだわり。9年もまじないする事によってやっと得た一粒種に彼女の心は執着していく。
「この子が産まれさえしたら。この子が男児であったなら。亭主の心はきっと私の方に向いてくれるだろう」と。継母の気持ちは痛いほど解るような気がする。
そうそう、娘のドレスへのこだわりの描写が秀逸。
継娘に自分のお古を着せたがる継母と、死んだ母親のドレスを着たがる娘。継母が勧めているのは古くてださいドレスと言う意味ではない、継子である娘に今は自分が母親であると言う主張が込められている。それを決して着たがらない娘は、それを敢然と拒否しているのだ。
しかもその上、臨月にもなろうと言うまさにその時、継母にとっては勝負はあとほんのわずかで着く時であったのだろう、もう間もなくこの居たたまれない疎外感から開放されると思っていたまさにその時、娘が禁を犯して死んだ母親のドレスを着て衆目の前に現れるのだ。
ドレスというアイテムで、完璧にこの継親子を現わしているシーンである。
自分の歌と美しさに聞き惚れていたはずの亭主が、その歌の途中で無遠慮に席を立ち、娘に満面の笑みを浮かべてみせる。娘を抱きしめ、キスをし、死んだ家内にそっくりだと囁き、身重の自分を尻目に娘と楽しそうに踊っている亭主。
継母と白雪姫、二人だけの正当な勝負ならば勝敗は定かではなかっただろう。黒魔術に頼る頼らないはさほど重要ではなく、継母は年相応に老いて行くはずだったし、娘は適当な相手と結婚し嫁いで行くはずだったのだ。
その楽しそうな亭主の姿がショックで(?)継母は子供を死産。決して黒魔術だけのお陰ではなく、つい今の今迄妊娠の喜びで光り輝いていたはずの肌は疲れて枯れ衰え、その魔鏡に映る己の姿に絶望する。
言っちゃなんだが、私はこの継母に痛く同情した。もちろんシガニーという事もあってだとは思うが。それとも臨月という状況を知っているからだろうか。
果てしの無い不安。この先の事、子供が無事に産まれてくるようにという切望、己のものであるはずの身体がまったく別物になってしまう上に、言う事をきかない不自由さ。そのストレスたるやよくも毎回耐えられたものだと未だに思い出す。
ましてや彼女は疎外感の中でそれに一心にすがっていたわけで、この子が産まれたらこうもしようああもしようと希望は果てしなくあったろうに。
その上での亭主の不貞である。許せないな!と怒りを感じる女性は私一人ではあるまい。
この事があって以来、継母は本当の魔女へと変貌していくのだが、そのへん嬉々として演じているのもシガニーらしくて大変よろしい。
いろいろあって森の中へと迷い込んだ白雪姫が出会ったのは7人の流れ者。
そこから先もこの映画のすごい所と言って過言ではないのだが、まず正義を愛する気のいい小人たちと、心やさしき働き者の白雪姫という構図は捨てた方がいい。
お姫さまであったはずの白雪姫がどうしてこんなに家事に詳しいのだろうと、幼いながら思った疑問が誠にすっきりしている。娘はただの役立たずで足手纏いだったし、これと言った特技も無い。ただ、彼女は奇麗だったし気が優しかった。思いやる気持ちを持っていた。世間から外れた彼らにとってそれはまさに救いになったし、彼女のりんとしたプライドもおそらく小気味良かったのだろう。
もう一つ納得できたのが、話の途中でうろちょろ出てくる王子らしき若き医者は、毒リンゴをかじった白雪姫にはキスしなかった。もう駄目だねとそうそうにさじを投げた上埋葬さえしようとする。キスはしなかったものの目覚めさせたのは小人さんのうちの一人。
いつも思ってたんだ。私。逃亡中の白雪姫としばしの間にせよ苦楽を共にしていたはずの小人たちが、何一ついい思いをしてないのに、その葬式で打ちひしがれてる真っ最中、横からひょいっと「ずっと捜していたんだよぉ(T-T)」と現れた王子とやらにいきなり目の前でその姫にキスされたあげく、その死出の衣装までしつらえて丹精込めて面倒見て来たはずの小人たちを差し置いて、姫はそのとたんに王子にぞっこん、「あなたが目覚めさせて下さったのねぇ〜〜!!」とか大感激、それを小人たちは我が事のように喜びましたとさ・・・って納得できねぇなぁって。
それじゃあ王子丸儲けじゃん? 小人たち貧乏くじ引いただけかい、って(笑)。小人たち何もめでたくねぇじゃんか?って。そのへんがこの作品では小気味良いほどしっくりしたストーリーに仕上がっている。
SFXも秀逸と言っていいだろう。老婆に化けた継母というシーンで、おそらくあれは生シガニー?魔力を使うシーンといい鏡の不気味さといい、ドレスやアイテムの細かなこだわりといい、見せていいもの余分なものを使い過ぎず少なすぎず。残酷描写のシーンは出来るだけ控えてあったし。ホラーというにはまこと良心的であったといえよう。
以前、かのブームの真っ最中に赤頭巾が確か何本か映画化されていたが、夢といえばフロイトというように、うだうだと注釈付きであると同時にこれでもかと表現された残酷シーンと、自己主張にはうんざりした記憶がある。誰がどう撮っても赤頭巾は赤頭巾なのだ。それがオーバーになればなるほど、鮮烈とかショッキングというより、原作のカリカチュアに他ならない。
その点においてもこの作品の贅肉の無い感じは、私としては絶賛しておこう。
しかし。オーメン3で初めて彼を憶えて以来、ほんとうにどこで見てもサム・ニールはいい目にあってないなぁ(笑)。今回も足折って身体が動かない上に無理矢理一発ヌかされた挙げ句の逆さ吊りとは(笑)。もうすでに宿命と言っていいかもしれない。がんばれ、サム・ニール(笑)。
まったく久々に映画というものを堪能させて頂いた。
お客様にもぜひ一見の価値ありとオススメしておこう。
END
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