たとえ「I'll be Back!」しか言えなくても!
ほのぼのコメディー俳優と成り果てようともそれでも!
サイバーダインモデル101のシュワちゃん萌え〜!

ターミネーター THE TERMINATOR
1984年・アメリカ 監督:ジェームズ・キャメロン 特撮:スタン・ウィンストン
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、マイケル・ビーン、リンダ・ハミルトン、ランス・ヘンリクセン

 この映画に関しては、もう何百回となく洋画劇場でかかっているし、むろん、多少でもSF好き映画好きの諸氏にしてみればストーリー解説も必要ないだろうが、あえて語らしていただく。
 私はこの映画が好きだ。もう、好きで好きでたまらないのだ。
 重ねて強調しておくが、「T2も」ではない、あくまでも1のみである。私にとって、この先何百作(・・オイ)シリーズが続こうと、ターミネーターは1とそれ以外にしかなり得ない。

 現代のロサンゼルス。
 ダウンタウンの片隅に一瞬の閃光が走り、唐突に全裸の男が出現する。
 鋼鉄の筋肉を持つその男はスラムにいた若者グループから衣類を、銃砲店から最新式のレーザー照準の銃とマシンガンを易々と強奪し、電話帳で探し当てた「サラ・コナー」を次々と抹殺し始める。

 一方、同じ場所にわずかな時間差で現れた男は、やはり全裸で唐突に「落ちて」来たかと思うと、苦痛に身をよじり低くうめいた。
 ビルに忍び込み衣類を盗むが、警報に怯え「落ちて」来た時痛めた足はわずかにひきづっている。痛む体をいまいましく感じながらも、「サラ・コナー」を捜し始める。

 「ねぇねぇ!あんた、死んじゃったわよ!」と同じファミレスのバイト仲間からからかわれた彼女の名前はサラ・コナー。
 彼女はこのところまったくついてなかった。恋人だったはずの男は愛情の欠片もなく、仕事でミスをした挙句ガキにまでいたづらされる始末。嬉々として見せられたテレビには自分と同じ「サラ・コナー」の名前がでかでかと映し出され、アナウンサーは「衝撃の電話帳殺人か!」とまくし立てている。

 同居人のジンジャーはとてもいい子だが現在彼氏とアツアツで、週末ものんびり家で過ごすわけにはいかない。サラの唯一の心の支えとなっているのはイグアナのパグ。
 しょっちゅう隅っこに入り込んではジンジャーから怒られはするけれど、パグがやんちゃであれば私は大丈夫、その冷たい皮膚を人差し指でなぞりながら、また今日も一人ごちた。

 週末、カップルに占領されてしまった部屋を後にし、サラは映画に出かけたが、どうやら不信な男に後をつけられているらしい。男は薄汚れたロングコートをはおってはいるが、どうやら何か武器を隠し持っているようにも見える。なにより目がおかしい。あれは明らかに変質者の目だ。

 テレビでは毎日のように電話帳殺人事件の事が報道されているし、同じ名前は電話帳には私を含めて3人記載されているが、そのうちの2人は既にこの世にいない。怯えた彼女はディスコに逃げ込み、警察に電話をするがなかなか担当部署に繋がらない。

 やっと担当刑事と話ができて席に座った時、人ごみの中にさっきの男を見つけた。やはり後をつけてきたんだわ。男の目は彼女をはっきりととらえていた。逃げようとするその一瞬、テーブルの上の物が落ち身をかがめる彼女、が、顔を上げた瞬間、目の前にあったのはあの男の目ではなかった。

 件の男より二周りでかい黒レザーで身を固めたサングラスの男が銃を構えている。レーザー照準の赤い光が彼女の眉間に狙いを定めた。
 瞬間、銃声。
 弾はわずかに逸れ彼女の後ろのガラスが派手な音を立てて壊れた。ゆっくりと振り向きながら倒れていく黒レザーの大男に、何度も弾を撃ち込んでいるのは、自分をつけていたはずの男だった。
 いったい今目の前で何が起こっているのか、彼女には理解できるはずもない。自分をつけていたはずの変質者は、彼女の腕を乱暴に引っ張って逃げるんだ!と叫ぶ。
 起き上がった大男は、機敏な動きで彼女たちの後を追いかけてくる。だって、あの人、銃でさんざん撃たれてたじゃない。しかも撃ったのは今私の手を引っ張って一緒に逃げている変質者、電話帳殺人事件の犯人なのよ。

 彼女をつけていた男の名前はカイル。自分をこの数年後核戦争が起こり滅びかけている未来からやってきた戦士だという。
 彼に蜂の巣にされたはずの黒レザーの大男は、必死で逃げる二人を追いかけてきている。自称未来戦士カイルは、その男をサイボーグだと言う。
 サイバーダインタイプ101、鋼鉄の骨格に人間の肉を纏った殺人兵器。自称未来戦士と言う誇大妄想狂との逃避行、かたや蜂の巣にされ大型トラックに轢かれてなお、執拗に彼女たちを追ってくる殺人兵器男と言う異常な状況は、彼女がパニックになるには十分な理由となった。

 私は物語の中でも恋愛話になる中盤より、この前半、サイバーダイン101の脅威とカイルの言う人類滅亡の危機にまつわるエピソードを彼女が信じられるようになるまでの経過がたまらなく好きである。
 さえないファミレスのねーちゃんが巻き込まれるにしては、核戦争だ機械と人間の壮絶な戦いだのとすこぶる大掛かりで、おまけにメカSFマニアの薀蓄好きなので、サイバーダインのこまこまとした設定は何度聞いても飽きない。
 物語が始まるのは1984年のロスであり、そこからたった40年で核戦争勃発。しかも原因は当時はまだ温存していた米ソの戦争ではない、人類が作り出した最新鋭の防衛システム"スカイネット"の暴走である。かーっ!(>_<)2024年かー!ありえないとも言い切れないなー!なんて、SF特に破滅テーマファンにとってはたまんない暗黒である(笑)

 回想シーンでさしはさまれる近未来の風景は壮絶で悲惨、累々と積みあがった人骨を機械の足が踏みつける時の音はどうだ。BGMは重厚で、黒レザーのサイボーグは寡黙で非人間的超人的、反面、カイルのひ弱さはどうだ。
 背の高さはサラととんとん、その殺人マシンに攻撃されるたび逃げ回るたび、方々ぶつけたり切れたり、そのたび苦痛にうめき歯噛みし、それでも彼女を必死で守ろうとする闘志はどうだ。

 そして中盤、地方の弱小警察署からモーテルへの逃避行、そこでたった一回カイルとサラは愛し合う事になる。

 「いい人はいなかったの?」という彼女の質問に、
 「いい人?彼女たちはみんな立派な戦士だった」とカイルが応える。
 「そういう事じゃなくて好きな人よ」
 一瞬間を置いて、彼が応えた。
 「ジョンから君の写真をもらった。・・・僕は、君に会うためにここに来た」
 唐突にソファーから立ち上がり、パイプ爆弾を乱暴にバックに詰め込み始めるカイル。
 「言うんじゃなかった・・・ッ」

 基本的に私は恋愛モノはまたぐ事にしている(笑)。ラブストーリーですと前置きがあったなら、おそらく私はこの映画が好きではなかったかもしれない。

 カイル役はマイケル・ビーン、私が初めて彼を意識したのは邦題「殺しのファンレター(81年米)」でローレン・バコールのストーカー役であった。
 お叱りを受けそうだが、当時の私にとってバコールはまったく認知していない女優であったわけで、こんなわがままなおばさんのどこが好きになっちゃったんだろう?と思いつつもだれだれ見ていたわけだが、途中彼女に「贄」を捧げるためにゲイバーでハントした男性としっぽりするシーンでは思わず正座しなおしたと言う曰くつきである(笑)
 おかげで私にとってはこの「ターミネーター」、その後の「エイリアン2(84年米)」を経てなお「超一流の変質者役者」と言う観念がいまだぬぐえない(笑)

 確か海洋モノのなんたら言う映画とか、海軍モノのなんたらいう映画とかにもぶちきれた将校やら中尉やら確か正義の弁護士とかにもなった気はするが、わが心のマイケル・ビーン(笑)はこの3本に尽きるのである。・・・って、ああ、どうしても次第にかのミザリーっぽい表現になってしまう(笑)ともかく私は彼の一番のファンである。(ってまんまですねこれじゃ;;笑)

 また、警察署に控えていた刑事役ランス・ヘンリクセンは、「殺人魚フライングキラー(81年米)」からの付き合いである。この後「エイリアン2(86年米)」ではアッシュを凌ぐ真面目なアンドロイドとしてしっかりリプリーに嫌われ、「エイリアン3(92年米)」では地球から来たアンドロイド制作者であり原型として彼女と対峙する事になる。主役は似合わない男であるが、物語になくてはならない存在である。

 さて、リンダ・ハミルトンだが。「ターミネーター」での彼女の最後の台詞はこうだった。嵐が来ると言ってますというガソリンスタンドのオヤジに、
 「わかってるわ」
 鋼鉄の骨格になり下半身をもぎ取られなお追いかけてくる101にこうも言った。
 「クソッタレ!(mather facker!)」
 当時は私は字幕専門で、アメリカでは最低最悪の貶し言葉はそう言うんか!となんだか妙なところでお勉強になったりしたわけで。
 その後「T2」に出てきた彼女は、私の知っている「さえないファミレスのおねーちゃん」ではなかった。筋骨隆々と逞しくいかにも地球の危機を救いそうなおばさんへと進化していた。が、だ。リンダはそうなっちゃいけなかったのかもしれない。
 たれ目でぽっちゃりした受け口の彼女が、リプリーばりにアクションして見せても申し訳ないがときめかなかった。「T2」人気は易々と彼女を踏み越え、もう既に大スターとして名を馳せていたシュワちゃんと、少年エドワード・ファーロングにすっぽりと持っていかれてしまった。

 そしてシュワルツェネッガーである。
 私はこれ以降のシュワちゃんは、頭が別ジャンルに区分けしてしまうのだ。
 これ以降1999年の「マトリックス」まで、私の中での最高に黒レザーと大ぶりなサングラスの似合う男はシュワちゃんだった。
 彼に惚れてともかく片っ端から見たけれど、それ以前というのは多少歯並びの悪い無骨な大男と言うイメージは常に彼について廻っていた。「コナン・ザ・グレート(82年米)」では美女との絡みもあるが、惚れる美女の気が知れなかった。
 シュワちゃんは、私にとってあくまでも冷徹に任務を遂行する殺人機械であって、「良い人」でなくてよかったのだと思う。

 人の肉が焼け落ち鋼鉄の骨格だけになり、半身を失ってなおサラの抹殺を遂行しようとする殺人機械は、私にとって健気にさえ見えた。
 へ理屈を言えば、彼はサイボーグ(この場合純粋機械だからアンドロイドだと思うが(^^;)なのだから、1では単に「サラ抹殺」をプログラムされているだけであって、「T2」においてのヒューマニズムはSFフェチとして許しがたいものがあった。

 少年ジョンを守れとプログラムされているならばだ、最期に「お別れが悲しいなぁ」という顔しちゃいけなかったのだ。デイジーを歌いながらスキップで溶鉱炉に飛び込めとは言わないが、そこまでヒューマニズムで飾らなければあの映画は2として成り立たなかったのだろうか?と、残念な気持ちでいっぱいなのだ。

 その後のシュワちゃんは、あの殺人機械のイメージを払拭せんが為にコメディーに出まくっているが、私にとっても心のシュワちゃんは、あの警察署で「また来るからな(I'll be Back)」といいすてた殺人機械サイバーダイン101である。某テーマパークでニコニコしながらお習字しているシュワちゃんでは決してありえないのだ。

 初めに「T2も」ではないと書いたのは、そういう理由である。
 1のシナリオは低予算映画として完璧だった。ところどころに差し挟まれる核戦争後の未来は悲惨そのものであったが、それは決してCGやらなにやら大掛かりなものは無く、それまでのSF映画のお約束の光景だった。そして何よりそれで十分だったのだ。
 画像さえ出てこない"スカイネット"は暴走した殺人コンピューターであり、カイルやジョンはその強大で人類史上最強の敵と戦っていたのだ。その未来では子供と年寄りはただただ怯え、女はみな戦士であり、機械を嗅ぎ分けるのは犬だった。

 作品中、101が通るところでは必ず犬が吠える。カイルはいつもその吠え声で101の接近を知る。なぜならばだ。戦士として訓練されたからではない、彼自身が「子供の頃怯えていたから」なのだ。これをリアリティーと言わずしてなんと表現していいのだろう。

 そういった細かい配慮が2にはない。冷徹なはずの機械には愛情らしき感情が芽生え、強大な敵はサラが人生全てをなげうってまで阻止しなければならないほど強大でもなく、セキュリティーは穴だらけで、将来大量殺戮を行うはずの凶悪サイボーグの開発研究をしていたのは人の良い家族持ちの陽気なコメディアン博士だった。
 そしてT-800(T2でのシュワちゃんですね)の部品はやはりその場にとり残され、また近いうちに「嵐が来る」事は今度はサラやジョンではなく、制作者がわかっていた事かもしれない。

 いつ3ができるのだ!と巷では思い出したように口の端に上るが、もう一度。1を見て初心を取り戻してから作って欲しいと強く心から願うばかりである。

 END



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