昨今日本では異常者という言葉は既に死語になりつつあり、そのボーダーラインは定かではなくなっているが、この映画は、特殊な政治形態の中で一人の勤勉な刑事と一人の軍人が、52人もの子供を殺害した犯人をつきとめ「彼は異常である」と証明するまでの経過を淡々と綴った作品である。
物語の大半は、本意ではないが任命され刑事となった一警察官が、大量殺人鬼が徘徊しているという事実を煮詰めていく事に費やされる。全般通して、表題とは全く裏腹に、全編牧歌的な雰囲気が漂う作品である。
血しぶき飛び散り嬌声を上げ逃げ惑う刺激刺激のサスペンスと言われる映画の中で、こういう雰囲気はけっこう好きなのだ。こう、エンターティナーと括られる商売人たちの世界で、頑固一徹を貫いてる職人芸というのか。
殺人シーンもふぅっと女の子が倒れていくとか、犯人が女の子の上にかぶさっていくシーンをロングで撮っていたりとかお茶が濁してある。いや、殺人事件なんだからそればっかりをよしとは言えないけど、逆に本筋であるストーリーはそっちのけで抉った肉が見えるような腐臭漂うようなシーンばかりが続かなくちゃいけないという法もない。
物語は、旧体制のソ連で始まる。・・・という所が歴史政治には全く疎い私の話だから適当にお持ちの知識をカブセて聞いて頂きたい所なのだが。
森の中で子供が惨殺される事件が頻発する。
役人は絶対的権力を持ち、警察は体制に影響する事件は揉み消そうと躍起になっている。何と幹部は正当な党員である同志は殺人を犯さないと言い切るのだ。
刑事と、それを影となり日向となり支えていく少佐の口数少ないやり取りが印象的。刑事は「思い通りに進まない」と怒ってるのではない、同じ労働者として、思い通りになんかなるはずないのをいやというほど知っているからだ。
彼は「正しくない」と怒っているのだ。それを「そんな事どんなに怒ったって奴等(幹部)には通じん」と言いきってしまう少佐だったが・・・。
二人の会話は極めて最小限で、階級によって権威が重んじられる政治下ではもちろん「抗議」や「意見」という形では成されない。刑事とは結果を上司に伝え、それが良い結果とする事だけが職務である。それ以上でもそれ以下でもない。
その辺が実にじれったいし引っ張ってくれる。
後半でやっと刑事の働きが認められ権限が与えられ海外での高い彼の評価が伝えられた時、彼が泣くんですね男泣きに。ここんところはドナルド・サザーランド演ずる所の上司と、実直そうな刑事がしっかり持ってけであった。
復讐劇とかドラマチックとかそれによって栄光があったとか称えるとか、そういう事は関係なしで、双方正義を貫こうとしただけというラストも心地よい。
犯人チカチーロの俳優がけっこういけてたと思う。クソミソに女房にどつかれながら鬱屈し、殺人という快楽に逃避して行く犯人像。原作本では帯に「多重人格」と言う表題がついていたが、表ではさえない一工員であり家では良き?父、裏では殺人者という構図は今では決して珍しくない。
その使いならされたネタを、こういう形で映画化するならば、殺人者がいかに凶悪で変人だったかという部分だけが下手に強調されているより、こういった話の持って行き方はそれはそれでありなんじゃないかとも思う。
エクソシスとの老神父役ではまったマックス・フォン・シドーが、体制下、唯一協力してくれた精神分析のエキスパートというのもなかなか美味しい所であった。
データを見て初めて、え?と思ったのだがこれはアメリカ映画なのね。その辺にもわずかに引っ掛かりはある。アメリカはアメリカなりの流儀での正義や正論の通し方もあるだろうが、だからといってかの国で起こった事件についてこうすりゃ良かった体制そのものが問題だったと言いきってしまうというのも大きなお世話のようにも思う。
しかし、「異常なものなどいるはずがない」「ここにいる全員が正常である」と一方的に言いきられ有無を言えない状況は、私たちも対岸の火事とばかりのんびりしていられない。
近所のおばちゃんおじちゃんともすれば息子娘親兄弟が、その加害者被害者となりうる昨今、それでもなお。私たちが住んでいるここだけ、この話し合いを行っている面々だけは極めて正常で、コレスナワチ平和である安全であると一方的に決め付けられ押し付けられ、従えなきゃハブと簡単に断罪され、わずかでも馴染めないもの、見慣れないものに対しては冷徹にそれを排除し闇に葬ろうとする、対外的には自由平等平和と高らかに謳う我が祖国のそれが現実である。
仕事が増える事をもっとも嫌い、新たな意見や考え方を一方的に断罪しつぶそうとしいるのは、我が国の場合大将や少佐ばかりではない。大なり小なり権力を持たされた時点で簡単に狂い溺れていくというこの現状は彼らの言う旧体制といったいどのくらいの差異があるのだろう。
お互いを〆合う荒縄の端っこを握り合っているムラ社会そのもののような旧体制を歴史と一括りにしてやみ雲に踏襲していく現実は、人間を内に内に鬱屈させるに足る十分な理由ともなっている事も考え合わせておきたい所である。
END
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