夏の夜の恐い話"しょにょ7"
「ナンパ」
ナンパ師おやじ32号、人でないモノをナンパす。(98/08/06-18:18)
私の青春時代、あれは忘れもしない19の夏の夜だった。
今から18年前の話だ。ああ、、年はとりたくないもんですな。
私は気の合う相棒を連れ、夜な夜な自分の改造車を乗り回し、街ゆく若い女性達をナンパしまくっていた時の話だ。
当時の女の子達は近代社会の若い女史達と違いなんか、恥じらいとか、かわいらしさがあった気がする。
ナンパしても、主導権は男の方にあったし、うまいメシを食わさなくてもそこらのマクドナルドで事足りた。当時の女の子達は、なにからなにまで新鮮なような気がする。まあ当時あまり社交場なるものがなかったからに他ならないが、今の若い女史達は男達をうまい事使い分け、選別して、カテゴリー別に用途によって使い分けるフシがあるように感じるが、そのことに非常に悲しく思う筆者は、もう年をとってしまったのか、はたまた時代錯誤なのかは定かでない。
が、世の若い男性諸君に私は言いたい。
「一人二人の女でうろちょろすんなよ」と何ちゃって。
そんな筆者も娘が5歳になるなんて今だ信じられないくらいだが、相変わらず、かあちゃんには、頭が上がらないのはなぜだろう?
おっと!!すぐに話が変な枝の方に伸びがちな筆者は、どうもイカン。
取り留めのない話題はさて置き本題に戻るとしよう。
とにかく筆者は、相棒を引き連れナンパをしていたんだな。
今の港北ニュータウンのあたりは、当時はまだ、野っぱらや畑ばっかしで、すっきりしてたもんだが、横浜の青葉台周辺に若い女の子が集まりだした頃だった。
我々は一路青葉台に車を疾走させ、東急線の駅あたりを重点的に責めていたが、その日は小雨そぼ降るじっとりと湿気の漂う陰湿な日だった。
いつもならナンパのひとつやふたつヒットし、意気揚々とするはずが、その日はさっぱり我々の毒牙にかかる姉ちゃん達はいなかった。
3時間ほど駅の周辺でがんばってみたがどうも日が悪いらしく、てんで女の子が引っかからなかった。
時計を見るともう終電間近の12時過ぎだった。
終電は12時半頃だったが、それに期待を掛けアタックしたがどうもいい女が見つからない。
とうとう終電も終わり、駅のシャッターが閉まってしまい、あきらめ顔の我々は落胆しつつ家路に就いた。
もちろん帰りは港北ニュータウンを中山方面から通り抜け、地元川崎に帰る予定だった。
不満を残しつつ、口の中であふれ出る罵声をガムのようにかみ捨てながら、今の港北ニュータウンの中を走っていた時だった。
砂利道が小さな山に差し掛かり、車のスピードを落とした時、300メーターほど前方の路肩を、二人連れの女が歩いているのが目に入った。
「おっ!ラッキーーー!いたぞいたぞ」
私はすぐさま彼女たちの脇に車を寄せ
「お姉さん達こんなに夜遅く危ないから乗ってかない?」
「もちろん何にもしないから大丈夫ダヨ」
私はいつものように、あふれるさわやかな笑顔を満面にあふれさせ、ナンパしちゃっていたが、その二人は終始下を向いたままトボトボと歩いている。
「ちょっとお姉さん達歩いてる方向からして横浜から?」
取り留めのない話を、助手席の相棒ごしに身を乗り出しつつ、していた筆者だったが、ちょっと無理な体勢で話をしていたのがいけなかった。
一瞬クラッチから足を滑らしてしまったのだ。
「ギュルルルッ!!」
タイヤが濡れた路面を滑る音がし、雨に濡れていたのもあり、エンジンを吹かしていたのもあって、車は一瞬彼女たちを追い抜き6メーターばかり進んでしまった。
「ごめんごめんやっぱ車はオートマがいいよな」なんて、照れ笑いに相棒に話していた私は、一瞬、あまりの驚きで全身が冷水を浴びせられたように凍り付いてしまった。
となりの相棒は私の態度の一変に驚いたが、私は凍り付いたまま必死で相棒に目で合図した。相棒ごしに話をしていた私は、クラッチを踏み外した瞬間それをまの当たりに見てしまった。
エンジンを吹かしていた事もあり、一瞬、車が勢いよく前に進んでしまった時、移動した車に合わせるようにナンパしていた二人連れの女の子が、[すうっ]と横に動いたのだ。
人間歩けばどうしても体が上下するが、それがなかった。
女の二人連れは、すっと車といっしょに横についてきたのだ。
その時まだ、相棒ごしに見えていた女の二人連れはうつむいたままだったので、顔もはっきりと見えなかったが、やっと私の仕草を察知した相棒はおもむろに脇の女の子に振り返った。
悲鳴こそ上げなかったが相棒の全身がビクンと動いたのが分かった。
震える小さな声で私はやっとの思いで言った。
「でっでた!!」
「うっうわーーっつ!!」
「窓を閉めろっ窓をっ!!」
当時の車はパワーウインドウなんて高級なものなんて皆無に等しく、相棒と必死でキコキコと窓を閉め、二人で必死で下を向いていた。
こんな時、得てしてエンジンでも止まりそうなもんだが、私の車のエンジンだけは実に絶好調だった。
フロントガラスさえ見るのが恐くなって震えていた筆者だったが、こんなことしていて取り憑かれでもしたらえらいことになると思い、勇気を振り絞り、片目を開けたフロントガラスに、全身を貼り付け、ニッと笑う怨霊を想像していたが、運良く暗い闇がライトに浮かんでいた。
「いっいくぞっ!!」
筆者はガソリンが減るのもかえりみず、アクセル全開で、どこをどう走ってきたのか覚えていないが、何とか繁華街の街路灯らしき周辺にたどり着いていた。
相棒はまだ下を向いたまま目をつぶっていた。
しばらくその場で停車していたが、恐怖で後ろの席も振り返る事が出来ず、私は固まっていた。
振り返った後部座席に女達が座っていたらと考えたら、そのうち先ほどの恐怖が波のように押し寄せ、全身に冷や汗が吹き出してきた。
「もっとひとけのある所に、、」
そう思った筆者は新城のと言う駅の飲み屋の繁華街を思い出し、すぐさま車を走らせた。
その日新城の駅前のタクシー乗り場では、酔っ払った客達が30人ほど列を作り騒いでいた。
思いついた筆者はこいつらに観察してもらおうと、わざとゆっくり30人のタクシー待ちの酔っ払いの前を、子どもが歩くような速度で車を転がした。
下を向いている相棒をわしづかみに揺り起こすと
「おまえタクシー客の顔を見ろっ」と言った。
相棒は小さく悲鳴を上げ、イヤイヤと体を横に動かしたが、無理矢理体を揺さ振ると決心した相棒は車窓に顔を向けた。
みんな何事かと私の車を見ていたが、驚きの声を上げる者は幸いいなかった。
タクシーのりばの外れで車を停めた筆者は、自分の車を降り、くまなく車のまわりからトランクの中まで調べ上げたが、何の変化も無かった。
しばらくそこで一休みしていたが不安が音を立て膨張していったので、思わず公衆電話で友達を呼び出した。
しばらくすると友達が車を2台ばかりひきつれ集まってきた。
初めてそこで何かに救われたように気が楽になった筆者だった。
はっきり言ってコレが筆者の今までで一番恐かった事だ。
思い出しただけで今でも鳥肌が立つ思いだ。
夏の夜の恐い話"しょにょ8"
「落し物」
車のキャリアから落ちたのは...(99/08/30-18:04)
えーひさびさおやじ32号ダス。
怖い話の心霊部門で友達の受け売り話を一つ。
稲川話に似たような話があったような気がしないでもないが、あまりにも熱心に語るため、記載する事にあいなった訳。
何年か前にその友達がまだ若き日のなごりも残しているころの話だ。
悪友を引き連れ湘南の海に出かけた時の話だ。
男二人で暑い最中、大型のバンを由比ガ浜当たりに乗り付け、日焼けも散々した挙げ句、夕方になって物足りなさを感じ、鎌倉の大仏様でも見てかえろうかと言う展開になった。
頃は8月の半ば、暑さしきりの頃だった。
若い娘のナンパも年甲斐がないとあまり気も進まず、ダラダラとバンを転がしていた。
スキーの仕様も標準装備の豪華なバンで屋根には太いキャリアが付いており、おまけにそれに登るための階段までもが後ろに付いている。
そんな豪華バンに男二人は暑苦しいが、それはさて置き夕方の7時に近くなって、このまま帰るのはおもしろくないし、帰り道は激混みでどうせ時間がかかるだろうと言う事で、それじゃあ心霊スポット探検でもするか!!とあいなった。
旧友が茅ヶ崎にすんでおり、ついでにそいつの所に顔を出して帰る事になったそうだ。
湘南は心霊スポットでは、トンネル系が有名どころである。
逗子の幽霊トンネルは超有名だそうだが筆者あたりの小心者は、とても行く勇気がない所でもある。今では芸能関係の低俗番組では、あまり見かけなくなったが、ちょっと昔はおふざけでよくやっていたお遊びみたいなものだった。
とりあえずは茅ヶ崎の旧友の所に向かい到着したのが9時近く、昔話に花が咲きついつい長居をしてしまい旧友の家を出たのが11時ちょっと前だった。
「さて時間帯もちょうどいいし、ちょっとよって行こうか」
この友達は心霊話は結構好きな方で一人でもちょくちょくそんな所へ出かけたりするそうだが、そんな奴は出来る限り接触を避けたいのが本音であるが、筆者の数少ない旧友でもある為、なかなかジャケンに出来ないのが本音である。
さてさて本題の心霊トンネルにその友達二人が行き着いたのが12時を周った頃だった。
しばらくウロチョロしたが、本来鋭い霊感も持ち合わせていないせいか、何にも期待した事は起こらなかったそうである。
「何だよ、どってことないじゃねーか」
そんな事を吐きながら他にも2.3おもしろそうなトンネルの脇に車を停め二人でウロチョロしたそうである。
そんな時連れの友達がカメラを取り出し、トンネルを背景に写真をパチリ、、そんな事を繰り返しているうち夜もふけて、既に時計は2時近く、明日も仕事の一言で帰る事にあいなった。
さすがの休日の湘南の沿線道路も、夜中の2時過ぎには通る車も数えるほどになり、軽快にバンを走らせていた。関東近県にお住まいの皆様ご存知の通り、湘南海岸から横浜方面には16号道路が通っております。
海岸沿いの道路を軽快に走っていると、遥か後ろから一台の車が彼らのバンに近づいてきた。一瞬、バンの後ろに付いたその車が軽くブレーキの音をきしませたが、当のバンの運転手が気にかける事でもなかった。
しばらくしてまた後ろの車がバンに追いついて来たが、車間距離を50メーター程保ったまま近づこうとしない。
それどころか時折ライトをパッシングしはじめたではないか。
「ん?後ろの車、なんか変だぞ」
そんな事を話しながら転がしている友達のバンに向かってパッシングの回数がやたら増えてきた。そのうち警告を促すようにホーンを短く何回も鳴らすようになってきた。
「オイオイなんだか変な車が来たぞ、気味がわるいなあ」
相づちを打つ隣の友達と顔を見合わせアクセルをふみ込み、しばらく加速をしながら後ろの車を引き離したそうだ。
しばらく走っていると再び後ろの車が車間距離を離して後ろを付いてきていた。相変わらずパッシングを繰り返し、ホーンを何度も鳴らしている。
「しつっこいなあ、いったいなんなんだ!!」
友達はさすがに苛立ち一気にスピードを上げ、海岸沿いから市内に入り込むカーブでタイヤをきしませながら、表側の海岸に車を膨らませながらもそのカーブをやり過ごした。
しばらく市内を走ると左側に24時間のコンビニが見えてきた。
呆れ顔で助手席の友達の顔を見たそいつは、そのコンビニの駐車場にバンを滑り込ませ、車のカギをロックしコンビニの入り口の扉を押しかけたその時、友達の後ろに先ほどから後ろについてきていたパッシングの車が凄い勢いで走り込み急ブレーキを踏んだ。
その音でビビッた友達の目前で止まった乗用車の扉をいきおいよく開け、中年のおやじが走り出てきた。
あまりの勢いで友達がその場で固まっていると、その中年のおやじは「落ちた!!落ちた!!さっきのカーブでっ!!」と叫んでいる。
「えっ!!?????」
「あんたら気がつかなかったのかっ!!」
「えっ?????」
友達はきつねにつままれたような顔を続けている。
「だから落っこちたって言ってんだろ!!」
「えっ?なっ、、、何が????」
「あんたらの車の上のキャリアで!!」
「ハアハア、、、、し、、、、しがみ付いていた婆さんがだっ!!」
「、、、、、婆さん????」
「俺は何度も知らせようと後ろで合図したのになんで気がつかなかったんだ!!」
「だ、、、だって、、だって婆さんなんか、、、」
「今にもキャリアから落っこちそうだったんだ!!だから俺は何度も、、、」
中年の男は肩で息をしながら言葉を飲み込んだ。
しばらく間を置いて妙に冷静なもう一人の友達がぽつりと、、
「なんで見ず知らずの婆さんが俺達の車の屋根に、、?、それもこんな夜中に」
その一言は3人を一瞬にして氷付かせた。
息を落ち着けた中年の男の顔は既に土気色、キッと友達をにらむと言った。
「オマエら、いったいどこに行ってきたんだ」
友達は正直に今までの行動を告白した。
「バッ、、、バカヤローーーッ!!てめーら人間じゃねえ!!」
そう吐き捨てると中年の男は何かから逃げるように車に飛び乗り、急いでその場を走り去った。当の友達二人は夜が明けるまで車に乗れずにコンビニの前で夜明かししたそうである。
後日談として撮影された写真が気にかかる所だが、当の本人は現像しないで焼き捨てたそうである。
ううむ、、私でもそうしたかもしれない、、、、、
夏の夜の恐い話"しょにょ9"
「ひとり多い?」
後輩が車を売ってしまったわけは...(99/09/06-14:13)
古い後輩の体験談を一つ。
その後輩は私とは5つ程離れたいわゆる体育会系と申しましょうか、少林寺拳法を得意とした豪傑な奴であった。週に5回は道場に出て稽古を怠らない、まあ役職で言うなら道場の中の中堅幹部的存在であった。普段から負けん気が強い彼は後輩どもの羨望の眼差しを一手に引き受けていた。
実はその彼は人に言えない弱みがあった。
ご多分に洩れず「怖がり」なのだ。
ようするに、対人間には強靭な体力と技を持って向かう所敵なしであったが、「お化け」「妖怪」「心霊現象」この手は実に苦手で話をすると脱兎の如く逃げ出すか、耳を両手でふさぎ歌を歌いだす始末であった。
ある日私が「オマエそんな怖がりでよく後輩どもが付いてくるな」そんな事をふざけ半分に口にしたらその後輩が真剣なまなざしでぽつりとつぶやいた。
「俺も始めは怖がりじゃなかったっスよ、あれ以来おかしくなったんっス」
この一言に知りたがりの筆者の心は疼きまくったのは言うまでもなかった。
「そうかあ、オマエでもそんな怖い思いした事があるんだ、、」
「で?、、どんな?」
「、、、、、、、、、」
後輩は無言のままうつむいたっきり声を出さなかった。
「いや、、ゴメン、つらかったようだな、聞いた俺が悪かった」
そういって筆者はにこやかに笑顔を振り撒いたが、心では(お願いだぁ!!聞きたい聞きたいっ!!もったいつけんなぁ!!)と叫んでいた。
数日経ったある日その後輩と二人で居酒屋に寄って飲んでいた時、不意に後輩がつぶやいた。
「俺、車売っちゃいましたよ、、」
「えっ?なんで?」
当時高級車の部類に入るセドリックを載っていた後輩がその車を売り払ったと言うのだ。
「オマエ何か悩みでもあるのか?」
妙にふさぎ込んでいる後輩を気遣い何気なく聞いてみると、水割りをなめながら後輩がぽつりぽつりと話はじめた。
「先輩、、実は俺、、、この間話し掛けた事が、、まだ、、」
筆者は本当に悩んでいる後輩のつらい顔を見て真剣に疑惑の念が込み上げてきた。
「もし他人にしゃべって気が晴れるのなら言ってみな、聞くだけなら出来るぜ」
すると後輩は重い口を徐々に開いていった。
後輩は当時26才、20才位の時の話だそうである。
少林寺拳法の道場通いも4年目の暑い夏、稽古も終わり東京の道場を出ようとした時、後輩の子分達が、まとわり付きいっしょに飯でも食おうと言う事になり、焼き肉屋に子分4人程を引き連れた後輩は給料も出た事もあってか、子分たちに盛大におごってやったそうである。
ビールも少々飲んでほろ酔い加減で焼き肉をほおばっていると子分の一人が言った。
「先輩!!世の中怖いもんなんてあるんすか?」
当時のその後輩は世の中自分中心に周っている位に思っており、当然武力も大会上位に位置するほどの実力を持っていた彼は、チュウチョする事無く答えたそうだ。
「怖いもんナシダゼ」
「この間友達が言ってたんですが、青山墓地、、出るそうで、、へへ」
「はははっ何だそんな事か!!」
「先輩怖くないんですか?」
「馬鹿いってんじゃねえ、そんなもの、生きてる人間の方がよっぽど怖いぜ」
後輩は子分にこう言ってのけたのである。当時の後輩はあの経験をする前は本気でそう思っていたのだそうだ。
「じゃあ先輩、話の種に俺達も青山墓地に行って見たいっス」
「おうっ!じゃあ時期も頃合いだし、焼き肉食い終わったら行ってみっか?」
後輩はチュウチョする事無く子分たちに言ったそうである。
話はトントン拍子に進み後輩の車に子分4人を乗せて、夕闇迫る青山墓地に出かけていったそうである。
青山墓地は環七の近くで、主要道路からも手軽に墓地内に入れるように、幹線道路から墓地内の真ん中をつんざくように道路が走り抜けている。
中ほどに来た後輩達の車は側道に車を停めて肝試しよろしく5人そろって車を降りて墓地内の寺を目指し歩き出した。
歳も若い事も手伝って嬌声をあげながら行進よろしくうねり歩いたそうである。
肝試しの内容は境内を一周し帰り際に奥の墓石に石を積んでくると言うたわいのない事だった。
物の怪の登場もないまま肝試しも終わりを告げ時計が夜の10時をすぎた頃、夜風も肌を刺すようになり帰る事にあいなった一行は一列になって墓地を歩いていった。
程なく車を止めてある側道に近づいた時列の後ろを歩いていた一人が叫んだ。
「俺の後ろのあいつがいないぞ!!」
どうも一番後ろを歩いていた奴の姿が見えなくなったらしい。
「オイオイ勘弁してくれよ!!」
そんな言葉を吐きながら全員で大声で捜したが見つからない。
「まったくどうしたんだあいつ」
すると後輩が一言
「どうせそこらへんで小便でもしてるんじゃないか?」
「すぐに戻ってくるさ、子供じゃあるまいし」
そう言いながら子分を引き連れ車の見える所まで歩いてきたそうである。
遠めに電柱の下に止めた車が街灯に照らされおぼろげに見える。
しばらく歩いていると先頭の子分を引き連れた後輩がある事に気が付いた。
ぼんやりとだが車内の後部座席に人影が見える。歩いていくほどにそれが街灯に照らし出され克明に影が浮かび上がった。
「何だあいつ先に車に逃げ込んでやがる、根性ナシめ」
そう言いながら後輩が子分を引き連れ車に近づいていった。
「てめえこの根性ナシ!!」
そう言いながら後輩は車のドアに手を掛け開けようとした時、遥か後ろの方から叫び声が聞こえてきた。
「まってくれーーーーっおいてかないでーーっ」
一瞬全員の身体が固まった。
どうやら声の主は途中でいなくなった後輩の子分の一人のものだった。後ろを振り返った薄闇に一人の人影がこちらに向けて必死に走ってくるのが見えた。電柱のしたを走り抜けてくるその人影は紛れもなく見慣れた子分の一人であった。
子分の一人が思わず叫んだ。
「中にいる奴はいったい誰なんだ!!」
後輩とその場に居合わせた子分3人は一斉に車の脇から後部座席の人影を覗き込んだ。するとその人影が上半身を捻じ曲げ後ろを振り向き始めた。
「わっ!!」
「わーーーっ!!でたぁぁぁぁっ!!!!!!!!」
子分の一人が大きな声で叫びその一言がきっかけになり、後輩と子分3人は一目散にその場を逃げ出した。後ろから必死に走ってくる4人目の子分のをあっと言う間に走り抜け、展開に不振を抱いたまま4人目の子分もみんなについて必死に逃げたそうである。
そのあと5人は必死でひとけを求めて幹線道路に走り逃げ次の朝全員で車を取りに行ったそうである。
「ふーんそんな事があったんだぁ」
水割りを舐めながら居酒屋のとまり木で後輩を眺めた私は、次の疑問を口に出さずにいられなかった。
「だってその車は縁起が悪いってとっくに売っぱらっちゃたんだろ?」
「ええ、、そうなんです」
「じゃあなんでセドリックを?」
「この間夜中にその車で出かけようとした時、、、、」
「後部座席にその時の人影が見えたんっす、、それも、、」
「それも?」
「それも、、あの時その人影が後ろに振り向きかけた続きのように、、、」
その後その後輩は車を売り払ったが、ふさぎ込む回数が増え半年も経った時その後輩の辞職願いの話を仲間から聞いた私だった。
私はその時自分の無力さを思い知ったのである。
次を読む