猫話タイトル


しょにょ1●「前説」
うちにも猫がいますよーーーby おやじ32号

しょにょ2●「我が輩も猫である」
おやじ32号の猫話、本分(笑)


夏の夜の猫話"しょにょ1"

「前説」

うちにも猫がいますよーーーby おやじ32号(98/08/03-12:42)


うちにも猫がいますよーーー。オスのトラ猫とメスの黒猫でんがな。
ちなみに私の派閥に属するのがメスの黒猫のジジ。オスのトラ猫は、筆者とオス同士なのでぜんぜん気が合いません。そばを通るだけで威嚇の「シューッ」をやられます。
これはオスの筆者としては、この家の主人は自分なので非常に感にさわり、闘争心をかきたてられる。

こないだなんか、トイレの前でオスのトラ猫が鎮座してたのでわざわざ脇をよけて通ったんですが気に入られなかったようで、思いっきり威嚇されちゃいました。
ちょっとこれにはさすがの筆者も怒ったね。

筆者は廊下にはいつくばり、オスのトラ猫を思いっきり威嚇仕返してやりました。おかげでおでこにちょっと引っ掻き傷を作るに至ってしまったが、何とか一家の主人のイゲンを維持する事は出来ました。

いやはや、世の中には小山の大将から町内会の会長まで色々おりますが、チョウたる存在を保つためには、時には血の出る骨肉の争いも必要なんですわ。
本当に世の中とはきびしいもんだばい。おやじ32号でした。



夏の夜の猫話"しょにょ2"

「我が輩も猫である」

おやじ32号の猫話、本分(笑)(98/08/03-23:55)


今や現代のペット事情は、日ごろのテレビを見ていたならばご存知の通り、相当せっぱ詰まったものがあると思う私が、子供の頃は野良犬に噛まれたなんて話をよく聞いたが、今や夜の公園の支配者は猫である。

代々私の家系は犬派なんだが、結婚を期に嫁さんが猫を飼いたいと言い出したのは、かれこれ2年位前である。
昔から「犬は人につき、猫は家につく」なんて言われるが、これがまんざらそうではなさそうである。

初め犬派の筆者は、猫を飼う事に少々抵抗があったのだが、飼ってみると、抜け毛は犬に比べて少ないしトイレの作法たるや、まれに見るきれい好きである。
真冬になれば布団に潜り込んできて、ちょうどいい湯たんぽの代わりとなってくれるが、しかし犬派としては、どうも防犯面が気にかかる。

犬の場合、防犯能力に多少の差はあるものの効果にある程度の期待を持てるのだが、猫の場合は皆無に等しいのだ。
我が家など来客があるたびに廊下の脇の柱の影に隠れて第三者の様子を鋭く観察するのみである。
先日、我が親友と初対面したのだが、不思議と馬が合ったらしく、なでられて「ゴロゴロ」のどを鳴らす怠慢ぶりである。

それにもう一つ、ちょっとした不満がある。
犬の場合上下関係が存在するが、猫の場合縄張りのほうがそんな事より最重要事項なのである。

我が家では、生まれたてのメスの黒猫とオスの虎猫をもらいうけ、家猫として外に一歩も出ないで現在に至っている。
少々間取りが狭いため、娘と嫁さんは二階、筆者は一階で寝ているのだが、まあこれには筆者の激しいイビキも大きな要因ではあるが、二階はオス猫の縄張りで一階はメスの黒猫の縄張りである。
筆者はオスであり、嫁さんはメスである。どうもオスどおし気が合わないらしくオス猫と筆者はぶつかり合う事もしばしばである。

嫁さんがなんかの用事で実家に帰った時など最悪だ。
オス猫はえさを差し出す筆者に牙をむく始末である。
その上、実に邪魔な通路にどすんと鎮座し、脇を通ろうものなら威嚇攻撃は当然、鋭い爪で筆者の柔肌をかきむしるのである。

腹に据えかねた筆者はある時行動を起こした。「縄張りのボスは私だ」がそれである。
当然シレツな戦いを強いられたが、筆者の主張がオス猫に通じたようで、最近はちょっと平和である。
やはりアメリカが救済を掲げて武力を押し通すように、たまには武力行使も必要である。

ここでちょっと秘密を告白すると、恐い話シリーズの筆者が実は、非常に怖がりなのだ。
皆さんも経験があると思うが、風呂に一人で入っている時など、まれに自分の後ろに視線を感じたり何かの気配を感じ、おびえた事などないだろうか。
そんな時は脱兎のごとく風呂を飛び出し、ひとけをまじかに感じて「ほっ」とした事がしばしばある。

別に妖怪や怨霊が出てきた事などないのだが、その時身の周りに猫がいて悠々とあくびをしていたりすると、つかえていた胸の重みが瞬時に軽くなるので非常に便利である。
猫には、この辺では特出するものがあると思う筆者である。

嫁さん曰く「猫は開けた戸を閉めるようになったら化け猫である。化け猫が6匹集まるとトトロの猫バスになる」そうである。
昔から怪談物の主役もしばしばこなす猫達。彼らの目を見ていると、何か奥深い物を見通す神通力みたいな不思議なものを感じてしまう筆者だが、この我が家の猫達は、この先いったい何年生きていくのだろう。

おやじが大病をして他界した時は涙一つ出なんだが、飼い犬が老衰で他界した時は滝のように涙があふれ出た。
しかし、この猫達が私より先に行ったら、当然筆者も涙しようもんだが、筆者が先に行ったならば、彼等は涼しい顔して耳でも掻いているのだろう。

そんときは、筆者が逆に化けて出てやると決心も新たにし、猫達を横目でみたいところだが、猫バスにヘンゲして家中走りまわられたんではかなわんので、今からちょっといたわってやろうと思うこの頃である。




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