PAPILIONIDAE



 その時不意に窓ガラスの一つが大きく音をたてて開いた。
 暖炉の中で、それまで静かだった炎が狂ったように燃え盛った。
 部屋の温りが一瞬にして奪われ、表の凍てついた空気が激しい勢いで吹き込んだ。

 青年が、吹き込んでくる風に逆らって窓に近づいていった。
 一瞬青年のシャツが胸元から大きくはだけ、その下に隠された大きな傷跡が見えた。

 「君、その傷は………」

 壁に掛かっていた標本箱の一つが床に落ちて、大きな音をたてて砕けた。
 青年は、窓を閉めるとそのままゆっくり私の方に向き直った。

 「これですか?」

 足元で、砕けた標本箱のガラスが、ざりりと鳴った。
 青年の口元に微かな笑みがうかんだ気がした。彼は、その痛ましい傷跡を私にはっきりと見えるよう、はだけた胸元を更に開いていった。

 両の肩口から首の付け根を通り背中に二本、腰の辺りまで、大きく裂かれたような傷跡だった。つけられてから、まだ日も経っていないようなものと思われた。
 青年の白過ぎる肌を引立てているかのような鮮やかな赤。

 「あの暑い森の中で狂ってしまったのは、先生だけではなかった。
 おそらくこの僕も、あの時を境に少しづつ狂い始めているのかも知れない。

 先生から疑われるほど、お心がこの僕に向かえば向かうほど、僕は、それこそどんなに長い間でも先生を待つ事ができました。
 必ずここに戻って来られると確信が深くなればなるほど、先生のお帰りを、帰られてからの執念じみた責め苦を心待ちにするようになっていきました。

 先生は、僕を捕らえた蝶のように扱いました。傷つけぬよう、折らぬよう、それでいて蜘蛛が獲物を捕らえた時のように決して逃がさぬように。
 先生の指先が、僕の身体を責め苛んでいる時、僕の心は甘やかな喜びに打ち震えていたのです。先生の身を案じて眠れない夜がそれまで何日続いていようが、その喜びの瞬間が訪れる事でそれまでの長くつらい夜は全て消え去りました。

 そうして待ち続けていくうち、僕は、本当にあのパルナシウスは、僕自身であったのだと、錯覚するようになっていったのです。

 ………もっと疑うがいい、責めるがいいと………

 このパルナシウスの身体が、先生を思うように翻弄しているのだという事に、快感をさえ感じていたのです」

 青年は、その傷をいとおしむかのように、ゆっくりとシャツを戻した。



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