怖い本読みましょうか

夜会オススメの怖い本
最終更新日 2004/1/20

読む?NEW大石圭 その暗黒 大石圭
読む?現役医師が語る!シリーズ 元田隆晴/著
読む?バトル・ロワイアル Pulp fiction 高見広春/著
読む?キング礼賛@ 「死のロングウォーク」 スティーブン・キング/著
読む?追加情報更新平山夢明(デルモンテ平山)
読む?追加情報更新新耳袋 現代百物語 木原浩勝、中山市朗 共著
読む?ブレア・ウィッチ・プロジェクト完全調書 編者/D・A・スターン
読む?宮ア勤裁判 佐木隆三
読む?黒い家 貴志祐介




平山夢明(デルモンテ平山)

新刊情報:「『超怖い話』公式ホームページ」(管理者/加藤一)、日記メイン:「デルモンテ平山と平山夢明のあやしいホームページ公開しちゃうのかよ(仮)」

 初めに長々と私の話を書くのも気が引けるが。
 ともかくここ何ヶ月か、私は彼にはまりまくったのである。これはいわゆる「リング」や「ブレア某」の策に落ちるという類のものではない、明らかに私の中の原風景、もともとにあった何ものか、今まで求め餓えていた自分の中の本当の悪夢というモノを具現してくれた作者が彼であったとしかいいようがないのだ。

 もう25年も前、私が始めて就職したのはその地域ではそこそこ評判のいい印刷屋だった。鉄筋2階建ての1階が印刷工場、2階が写真撮りから版下写植製版までの作業をする作業場になっていた。
 私は当時まだ十代のガキのくせにオレサマ全開でおまけに頑固で負けず嫌いだったから、よく先輩職人たちのからかいのネタにされていたが、ある日こんな話を聞かされた。

「なぁ、下の工場に裁断機があるだろ?あれってどんな仕組みだか知ってるか?」
 当時はちょうど新しい技術への移行時期で、下の工場にはモノクロ専門の活版機、最新のオフセット機、搬入の時点で全型に裁断されている巨大な紙の山、印刷はその全型で刷るので、刷り上った印刷物何百枚を一気に裁断する巨大な裁断機、それを束ねる梱包機と、通常ライトテーブルと写植機でしか作業の無い私には、やたら物騒に見える機械で雑然としていたのだ。
「あれってさ、紙を切る部分、要するに刃になる部分て、ナイフや包丁みたいじゃないんだぜ。何トンって重さの鉄の塊りなんだ。」
「え!そうなの?」
「その底辺の底の部分が鋭く研ぎだされてるだけで、こう、ごーんと刃が落ちるじゃん、そうすっと裁断機の上には紙の半分だけ残って、落ちた方の紙は下にいっしょに落ちるって寸法なわけだ。」
「へええ・・・」
「おまえ、やってみたい?」
「え!・・・」
「がははは、こええだろう?こええよなぁ」

 コワイに決まっている。そんなとこでうっかり指でも挟んだら・・・指でも落としたら・・・いったいどうなってしまうんだろう。
 頭の中にその「指が落ちる」シーンがそれらしくイメージとなって浮かび上がって、心底震えが走っているわけだが、彼の話はそこで終わらなかったのだ。

「おまえさー、まだ入ったばかりで知らないだろうけど、前にあそこで指落としたやつがいてさぁ」
 ひええ。
 彼は口では「指」と言っていたが、しっかり手首を切り落とす仕草をしている。

「どうなったと思う?」
「わ・・わかんないよぅ・・・」
「なぁ、どうなったと思う?」
「すごく痛かったと思うけど・・・」

 さてお立会いと、大道芸人ならこう叫ぶ場面なのだろう。あたりには先輩職人たちが手に手にコーヒーやらお茶やらもって一服を決め込み話に参加しようと集ってきている。
「ありゃーすごかったよなぁ」
 うええ。
「でもさ、切ってすぐって、痛いとか感じねぇらしいんだよな」
「そうそう。何が起こったか本人はわかんなかったみたいで、何秒間だか突っ立ったまんま」

 それが本当にあった事なのかどうなのか、その事故に彼らが本当に立ち会ったのかどうなのかはいまだ定かではないが、恐怖と言うのは、痛さが連動すると一気にその度合いが倍加する。
 しかもその一生に一度経験するかしないかの正体を失うほどの激痛が襲う前の一瞬の空白は、その後の「激痛」と一言で表現される部分よりものすごく重要でそれがあるかないかで恐怖の深さが増すのだ。

 何百枚かの紙をだぁんだぁんと派手な音をたてて揃え、職人の精密な目で計測しズレの無いようにステンレスの上板の上に置き、3センチほどの赤いボタンを押すと、機械は冷徹にごごんと音を立てて一気に切り落とす。日ごろから、その機械でコンマ単位の化粧断ちまで器用にこなす仕事ぶりをうっとり見つめているのが好きだった。

「おもしろいか?」と、たまに作業を続けながら印刷の職人さんが話し掛けてくる。
「うん!」
「すげーだろう。ミリまで正確」
「すげー!」
 その一瞬。

 職人さんの手首が落ちる夢にうなされて目がさめる日がそれから何日続いた事か。
 その上、家は電気工事屋だったので、死んだ親父や職人さんからは身体を電気が通る、高架や足場から落ちる恐怖話もしょっちゅう聞かされた。

 平山夢明の怖い話は、お化けや幽霊、残虐非道、ヒトデナシ、怨恨私怨の類から天狗や妖怪まで多岐にわたるが、一様にそういった恐怖を思い出させる。

 それがねぇ、そいつ自身がまったく気づいてないわけヨ。自分の足があらぬ方向向いて皮一枚でくっついてぶら下がってんのに、こっちに向かって笑いながらひょこひょこ歩いてくんのヨ。俺さぁ、なんだか足がすくんじゃって、どうしていいかわかんなくなって、ともかく救急車を呼ばなきゃって思うんだけど、番号が思い出せなくてさぁ、100番だったか900番だったかなんて。おかしいよなぁ。

 ・・・ちっとも可笑しくないのである。
 その追いつめられた生の人間のともすれば陳腐な仕草に、腹の底から震えがくる。
 そういった恐怖。
 ハルキ文庫 「怖い本」@、A はそういった亡霊ホラーの類の恐怖譚。読者の体験談を元にして書かれ、10号を越えるほどの人気シリーズとなったものの既に配刊を終えているケイブンシャ刊の 「超怖い話」 から彼の作品を抜粋したものらしい。
 ちなみにそれではと数冊買ってはみたが、初めにこの「怖い本」を読んでからではなんとも物足りないとしかいいようがない。

 同じくハルキ文庫 「東京伝説」 は、彼自身が「何か怖い話ある?」と聞いたものではなく「何か怖い目に遭った事ある?」と聞いて集めた話だそうである。先に書いた残虐非道、ヒトデナシ、私怨からストーカーまで、都心で暮らす若い女性ならその中のどれか、思い出したくも無い体験があるかもしれないというようなリアルである。

 そして角川ホラー文庫 「異常快楽殺人事件」 は、ゲーシー、チカチロ、ゲインなど稀代の連続殺人犯7人のドキュメンタリーである。
 こういう類は結局なんだかんだと方々で読んできたが、彼の場合資料をもとに正確に事実を記録するというより、その異常者が被害者の首を絞める瞬間には本当にこう思ったであろうという錯覚を確実に誘発する。
 私の場合一気に集中してではなく家事の手が空いた時に読み読みするのだが、最後の数十ページだけはさすがに一気に読み上げ、思わずトイレに屈みこんでしまった。が、その後書きの冒頭で、ご本人を含めた数人が体調を崩し精神科にお世話になりかかったのにさらりと読了できたあんたは変と言い切ってる事に、一気に脱力させていただけるというかなり満腹の一冊である。

追加情報(2004/1現在)
■聞き書きの恐い話
「超恐い話」Α/Β/Γ(アルファからガンマ)(竹書房文庫) 以下続刊
「怖い本」1〜4(ハルキ・ホラー文庫) 以下続刊
「東京伝説」新版T〜V(竹書房刊) 以下続刊
「鳥肌口碑」宝島社(ハードカバー)
■長編ホラー小説
「メルキオールの惨劇」(ハルキ・ホラー文庫)、「Sinker 沈むもの」(徳間文庫:絶版)
■短編ホラー小説
井上雅彦のアンソロジー本「異形コレクション」への書下ろしなど多数





 

新耳袋 現代百物語

木原浩勝、中山市朗 共著

ハードカバーではメディアファクトリーから現在第一夜から第八夜まで、文庫では角川書店から第四夜まで発行されている(2004/1現在)。
という事はだ、合計600−6で594話の恐怖譚という事だ。一冊につき99話という半端な数で終わっているのは、「百物語」のならいの通り「百を語れば怪に至る」ような出来事が実際あったからだと著者は語る。その真実は今後発行されるであろう第10夜の完結編、記念すべき千話にてと、これもまた真面目なのだか商売なのだかわからないようなコメント付きである。

 こちらは正直な話、前記平山氏のような血生臭さはない。話の一つ一つはおそらくそれも本家「耳袋」を意識しての事だろうが、件の「遠野物語」のような趣であり、狐狸妖怪の類や「不思議体験談」、「その昔体験した(もしくは見聞きした)説明不可能な怪異」が主である。

 ネットのホラー板やらで「今一番怖い本てなぁに?」という問いに、何人もがこの「新耳袋」を上げており、かねてから興味はあったものの、本屋で新版を見つけ流し読んだ時には、正直噂はあくまで噂だなと思わざるを得ない内容と、一冊1200円という値段に購入まではどうしても踏み切れず、一旦は興味を失ったのだ。
 この本と再会したのは申し訳ないが古本屋でである。2冊ほどまとめて出ていたので、とりあえずきちんと読んでみるかと。それが始まりだった。

 文体はあくまでも単調で、刺激的な書き方もしていない。その中のかなりの数が短編で、本人がなにせそう言っているのだからと、河童や10センチほどの小人を見た話や、なんだか近所のオヤジにいっぱい食わされたような話、たとえば友人と酒を飲む席で「そういえばこないださぁ」と語られたのであれば、酔いつぶれる頃には忘れている話かもしれない、そんな話がほとんどなのだ。

 また、遠い過去に遡って書かれた著者自身の体験談などは、「僕自身もいまだに信じられないし、その後の追跡調査もしたんだけどね、真実は隠蔽されたままでね、信じてもらえないかもしれないけど、ものすごく奇妙で恐ろしい体験だったんだよ!」と、なんだかうちの亭主が力説するUFO話に似て、私的にはその熱心さに気圧されるというか、とりあえず信じてみるのも一興という気分にさせられる。

 面白いのはその「百物語」へのこだわりなのである。著者があまりに熱心に百、百というものだから、5、6話読むと、「いやイッキ読みはまずいまずい、とりあえず今日は打ち止め」を決め込んでしまう。実際の幽霊亡霊となれば、私のように霊感がないくせに怖がりが興味本位で踏み込める世界ではない。
 確かにちょっとは見たい気もするが、うっかりUFOやイッシーを見てしまうのとはわけが違う。敵はこの世にかなりの思いを残した血塗れの亡霊で、かなり近距離に現れる上、ともすれば触感や臭いまで伴うというし、娘の見た悪夢の中の「怖い顔したリカちゃん人形がね」というフレーズだけでびびりまくるような臆病者には、とてもじゃないが堪えられる話ではない。

 その後あまりに続きが読みたくていても立ってもいられず、新刊含めてとりあえず「第六夜」までは完全に揃えたわけであるが、昨今どうやら方々のマスコミで引っ張りだこらしく、どこぞで行われた実際に著者から聞くイベントでは怪異がおき更に盛り上がり、関連のラジオ番組を持ち、何本かはアイドル出演の短編ドラマ化され、メディアファクトリーの「新耳袋」公式サイトは、有料で「聞く新耳袋」のDLサイトとなってしまっているほどなのである。
 何巻目からかはご自分の出演した番組のエピソード、マスコミ関係のネタが増え始めているところに一抹の不安も感じるが、ここまで付き合った以上、どうせなら件の「百物語」的怪異を収録するという千話完結まで、がんばっていただきたいところである。

 人が何かを思う力にはパワーがある。怪異が起きるのではなく、そこに集う人々の思いが怪異を起こしているのなら。・・・それもまた、コワイ話である。

追加情報(2004/1)
この記事の初書きからもうかなり経つが、「新耳袋」としてのイベントや加藤氏のTV出演などでめきめきとのし上がり、関連メディアはノベルからコミック、TVドラマなどなど多数に及ぶ。「遠野物語」風まったり系百物語がお好きな方は、ぜひ探してみていただきたい。




ブレア・ウィッチ・プロジェクト完全調書

編者/D・A・スターン、発行/アーティストハウス、発売/角川書店

 話題は、「ブレア・・」と言う映画が公開される半年も前から聞こえていた。私の場合発信元は海外在住の身内からである。
 「ねーねー!すごいよ!これ知ってる?サイト行ってみた?!(URLのコピペ)今すごいこっちで話題になってるんだよ!」
 ご案内されたのは英文サイトで読めるはずもなく(笑)、それでも「衝撃的」でありさえすればそれなりに興味は持つはずなのだが、今思い出そうとしてもたいそうインパクトのあるサイトだったとも思えないほど、情報は粗雑で整理されておらずさほど興味も持たなかった記憶がある。

 しかしながらこの作品の粗さは、有名俳優とCGに巨大予算のつぎ込まれた名匠映画に飽きた観客を今後どう引っ張っていくかに悩んでいた製作者に、これからの「創作」は1人の「作者(監督)」が1つの「作品」を仕上げるのではなく、複数のスタッフで企画し、情報操作から始めて環境/情報から作り上げ、観客をも巻き込んだ「プロジェクト」であり、「結末(落ち)もテーマも考証さえてきとーでぜんぜんオッケ〜じゃ〜ん!」という大いなる誤解をもたらした。

 映画を見るきっかけになったのはブームが去ってだいぶ経った頃、邦画の自称「ブレア」パクリビデオだった。それが本当の本当に終わった途端テレビが壊したくなるほどあまりにばかばかしく視聴者をおちょくった企画(笑)だったので、怒りのあまり「そいじゃー元ネタもきっちりチェックしてやろーじゃないか!」と。人生どこに落とし穴があるかわからんというのはまさにこの事である。

 映画は、まだ駆け出しの映画制作希望の女子大生が「(恐怖伝説のある)ブレアの森のドキュメンタリー記録映画」を取ろうと発案し、地元で男性二人のスタッフを集めいざ撮影を始めるが、森に入った途端伝説の怪異か悪質なストーカーかに付けねらわれ、登場人物は次第に崩壊し、錯乱、行方不明など次々と消え、最後までわずかに正気を保っていた彼女のビデオもパニック状態のまま駆け出しぶち切れるという落ちまでついたリアリティー溢れる作品だった。

 おお!こりゃすごい!

 感想らしきものは別枠で書いたが、作品自体は「怖い」と言うのではない。「わくわくする」のだ(笑)何年かに一度あるかなきか、全く儲けを睨んでいない素晴らしく出来のいい同人誌に出会ったような気分である(笑)そんな時叫ぶ言葉は決まっている(笑)「よっしゃあああ!」(謎)

 低予算の凄さは、たとえ売れなくても斜にかまえて「ヘッ!いつかおまえらみんなオレさまに平伏す日が来るぜ!」と嘯いていられるだけの不屈の根性と野望である(笑)
 熟練者の誇る技術や理屈に正面から唾するような荒削りなタッチの中に、野望が見え見えという可愛らしさがたまらない。おー企んどる企んどると思わず口元が緩む。まさに、がんばれワカゾー!である。

 この本は、その映画のネタ本である。

 訳者の方には申し訳ないが英文のまるで出来ない私にでもわかるほどあからさまな直訳で、文中には映画の取りこぼしているブレアの「魔女伝説」「怪異の体験談」「猟奇殺人事件」などが事件後さらに詳しく語られ、新聞の切抜きや当事者の手紙やmail、インタビューの形でいかにも中途半端に乱雑に並べられており、最後は、かの映画の中で主人公ヘザーが、暗闇の中必死で書き続けていた日記と、それをこういった形で出版してもらう事に対する彼女の母親の感謝の手紙で終わっている。

 「僕らはあの森で起こった怪異の真相を彼女の家族のためにもここに書き記しておく」云々と、確かにそれはそうなんだが。言うなれば何かを書く場合の「制作ノート」「プロットメモ」「考証メモ」を延々と見せ続けられているようなというか、もっと言えばこのような本にできた事自体が信じられないまるで高校生の自由研究のような(^^;というか。

 映画も本もたいそう当時は評判が悪かったのだが、確かに、まだADSLなど無くテレホの重さに必死で耐えつつさんざ接続し検索させられた挙句、平積みになったこの本を1600円なりで買い求め、いそいそ映画館に見に行ったらあの映画では怒りもあろうと妙に納得(笑)

 順序としてはまずこの本を読んで、何がなんだかよくわからんがどれどれ主人公ヘザーの危機的状況とはいかにとおもむろに映画で確認して欲しいところなのだが。
 これが完全創作であったら、ワカゾーの野望と成功に乾杯。
 これが真実であったら・・・ブレアの森の惨死者、行方不明者にはいろいろな意味でただただ合掌である。




宮ア勤裁判

佐木隆三/著 朝日新聞社/発行 朝日文芸文庫

 なにせ被害者がいる話なので、あまり熱心に思いのたけをぶちまけるわけにも行かないとは思うのだがと、まずお断りしておこう。

 「埼玉で連続幼女殺人!」と報道された当時、私はすでに一児の母親だった。むろん第一声は「あら、怖いわねぇ」だったし、娘を一人で公園に行かせないよう他の奥さんとはもっぱらそんな話題で盛り上がったりもしたのだが、犯人の偽名「今田勇子」の手紙の時点で、にわかおばはん探偵(似非)の食指は激しく蠢きだし、すっかりTVに釘付けとなった。

 「今田勇子」は女じゃない。女は下着の事を「パンティー」などとは書かないし、子供を亡くした悲壮な実体験などは深く心の底に沈めておきこそすれ、犯行声明でど派手に言いふらそうなどと思うはずがない。それをワイドショーでは連日名のある鑑定人だの精神分析医だのが雁首そろえて、男か女かとやっていたのだから、張り付きでTVにツッコミまくりである。
 他にも犯人のプロファイルには、オタク道20年余の私としては方々に思い当たる節もあり(^^;事件の全体像が明確になるにつけ、もうすっかり母としての自分はこっちおいといて状態にまでのめり込んでいったのだ。

 佐木隆三の作品は、恥ずかしながらこれ以外読んだ事がない。だが名前だけは浅学な私でさえ知っているほどの作家である。
 事件関連の分析本は数々出ているが、そのどれもが私の興味からは著しく的が外れており、稀代の連続殺人鬼の例に倣って残酷だ信じられない人でなしケダモノ鬼畜と言いたい放題、むろん世論や被害者も慮っての書き様だろうが、犯人にはこのオレサマのペンで正義の鉄槌を的な主張だらけの中で、つい手に取ったのは彼のネームバリューからだったかもしれない。

 が、ともかくこれは作者が足で集めた検証と作家という立場における体験に裏打ちされた裁判記録である。内容は犯人宮ア勤の過去、環境、行動から予測される彼のキャラクター分析と、対する刑事検察、裁判所というキャラクターの絡み合いが、作家的視点から詳細に綴られている。もっと言えば、正直被害者家族が読んだら逆上するんじゃないか?と思わせるほど、犯人のキャラクターに素直にのめりこんでいる部分も少なくないのは、事件を面白可笑しく書こうとしてそうなっているのではなく、彼の作家としての性なのかもと思わずにはいられない。

 対する検察側が、刑事を始め全てが全般を通して極めて公務員的発想なのも妙味。冒頭、犯人に対する「カツ丼食うか?」的取調べの様子、刑事、警察官の的外れな証言、本編中盤にもなって初めて世間には「オタク」と言う文化があったんですねぇ、という意の検察の発言、裁判官が変わるたびに論点が二転三転する裏事情などは、なんだか怒りを通り越して遠い目になって読んでしまった。

 重ねて、これをどうして「怖い」本として紹介したのかという点であるが。
 このところの意とせぬところで学校と関わり、口幅ったいが教育問題云々と語るにつけ、教師を始め、彼ら「公立校で飯を食う人々」の情報力の貧困、適応の遅さ、理解力の無さ、融通の無さ、観察力の無さ、何があろうと揺らがない根拠の無いプライドと鉄面皮にほとほと泣かされ続けている毎日でもあるわけで。

 私が万が一、罪を犯し、それの最たるものである彼らに裁かれる事となったら。
 突発的な事故でない限り、私が自ら罪を犯すときは、思いつきや衝動でそうなるとは考えにくい。かなりDeepに思い込むほうであるから、某か理由ややむを得ず(もしくはやむにやまれず)暴力に訴えるしかないと結論した事情があるに違いないのだが、同じ日本人の姿で同じ米を食い同じ汁を飲んでいながら異性人のような彼らに私の言葉は通じるのだろうか。
 また逆に、某かの理由があって彼らに頼らざるを得なくなったときも同様である。彼らはきちんと私の心情を正確に把握して、正当な決裁がしていただけるのだろうか。
 刑罰が怖いのに罪を犯すはずもない。刑罰を覚悟してなお罪を犯さざるを得ない状況に立った時、逆に、犯人を死刑にしてもまだあまりある憎悪を抱かざるを得ない状況に立った時、果たして、と考えると心底震えが来る。
 これはフィクションではない。だが、真実をただ無機質に記録しただけの純ドキュメンタリーでもない。ここまで書いてなお「一作家」が書いた「作品」なのだ。そういった意味で、軽はずみな行動は差し控えなければと思わずにはいられない。

 己のボキャブラリーにはけして登場しない言葉で何億回と罵られ嘲られ、終いには「ねずみ人間が命令した」と言い出した彼は、少なくともそういう意味では地獄の底より深く己の罪を悔いている事だろう。
 このセカイでの歴が長い貴兄たちにはかなりオススメ、いろいろと考えさせられる作品である。




 

黒い家

貴志 祐介/著 角川ホラー文庫

 まずは映画から入ったこの作品、おもしろかった非常に楽しませていただいた、というのが正直な第一印象である。

 こうして家でのんびり専業なんかしてると、学習塾、宗教、健康布団に浄水器とさまざまな訪問者が日々訪れ勧誘電話が鳴らない日はほとんどないわけで、その中でも特にかの毒入りカレー事件以前には、「保険」勧誘員の訪れる頻度が群を抜いて高かったように記憶している。
 かくいう我が家も数件の保険に加入しており、更新だのかけ替えだのという時期が近くなったり、実はこの作品で初めて知ったのだが11月戦?というようなセールス期間中になると、頻繁に電話が鳴り、玄関先に立たれる事ともなるわけで。

 また、この年ともなると育児休業もそろそろお開き、パートに出るやつは出るわけで、「保険の勧誘始めたの」と言う友人の話も多くなる。特に事務系営業接客系に自信のある友人などは、「講習」とやらを受けに行くだけでいくばくかの手当てがもらえる事から、「とりあえず社会復帰への第一歩」として始めるやつも少なくない。
 彼女らの愚痴も、ユーザーもすげーのがいるなぁと思わされる事ばかりで、入りたてのうぶな保険屋を狙った契約をネタに行われる保険金未払い詐欺、携帯料金肩代わりをさせられ24万丸抱え、手続き満了記念品搾取など、出るわ出るわ・・・。しかもそのどれも支部に苦情を持ち込んでも「それは悪質な客に引っかかったあんたが馬鹿」と一蹴されるレベルなのである。

 主人公若槻は、「進行上都合のいいキャラ」であり「完全無欠のサラリーマン」である。作者である貴志氏は保険屋だったと聞くが、支店営業の保険屋の中堅管理職というのは、皆こう言った感じの人間なのだろうか?いや、そうではあるまい。

 普通のサラリーマンであればおそらく踏み込まぬであろうというところまで深く菰田夫妻に関わっていく好奇心は、物語の進行上欠かす事は出来なかったのであろうが、そこに「確固たる正義の主張」や逆に「異常性」は認められず、目立たぬ事を旨とし部下同僚にはあくまでも物腰穏やか、発言は常に慎重に選ぶ理屈派、下品な遊びをせず、高級店に精通し、おまけに彼女は博愛心に満ち溢れた感受性豊かな知的美人とくれば、ヒーローとまでは行かないがと謙虚に言いつつも、作者のナルシスティックなサラリーマン像と言うのが鼻につく。

 作中、菰田夫妻がどれほど非人間的な異常者かが、心理学者や若槻によって表現されていくわけだが、若槻の彼女に言わせれば心理学者金石も異常者だし、若槻は口にこそ出しはしないが、上司葛西や周辺の同僚が事の異常性に微動だもせず事務処理していこうとする体制をシニカルに見下しているようなところがある。
 とするならば、果たして「正常」なのは誰か。「常識的」なのは誰か。
 読了間近一旦は、正直彼が言いたい完全無欠な人間とは作者だけなのであろう、となにやら皮肉めいた笑いが浮かんでしまうようなハッピーエンドとなるわけだが、ではそこで笑ってる私は?

 そう考えると、読了した時、初めて体の底からイヤラシイ怖さが来る作品である。

 ただ、この本では保険屋がなにを思い、何を私たちに勧誘するのかはよく理解できた。また、保険商品の性質というか保険という商品をして何があちらの利潤になり、こちらの商品価値となるかに関しても同じくである。保険とはけして「不幸な人々を一人でも多く手助けするための商品」ではない。「人生におそらく何度も遭遇しないような災難でお互いどれだけ儲けを得るか」という博打のようなものである。

 思い返してみれば、保険に関して泣いた事は今まで数え切れないほどあった。
 父の死後証書が適切でないと支払い拒否されたのも数本あったし、亭主がむち打ちでほぼ一年間通院した時もこれまで15年間かなり家計を圧迫し続けている保険は微動だにせず、その上近年掛け替えとかですでに保険屋とは臨戦体制である。
 車で出れば逆カマを掘らされ、ぺこぺこ頭を下げるいい加害者に当たってラッキーと思うまもなく保険屋に書類が渡った途端相手の保険屋にいきなりこちらが加害者にされ、居丈高に嘘吐き偽証呼ばわりされるわと、正直ろくな事はなかった。
 つい先だって、学校災害の保険を学校ぐるみで半年もとぼけられた挙句、ならば学校を通さず直で聞こうと取り扱いセンターまで電話をしたところ、たった2回で名前を覚えられ、その上「何でそんなに詳細を聞きたがるのか」とまるで保険金詐欺を企んでいるかのように疑われてしまうほど、世の中は金に困窮している。

 この作品の初版が3年前1998年、映画公開が翌年1999年、そして2001年となった昨今、既に保険金目当ての子殺しなど「そもそもの異常者」や「人でなし」などが起こす保険金詐欺事件など既に片隅の埋め記事レベルと成り果てた。
 テレビをつければ「お客様のお望みの形」と五月蝿いばかりの「ユーザーに都合のよい(風な)保険商品」が大宣伝で出回っている昨今、今掛け始めた保険が満期を迎える頃のニュースが今から楽しみだと、思わずにいられない今日この頃である。









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